【西条昇のレヴュー史コレクション】昭和24年の日劇「踊る京マチ子と冗談音楽」公演パンフ
手元にある、昭和24年6月の有楽町・日本劇場での「踊る京マチ子と冗談音楽」のパンフ。
昭和11年に大阪松竹少女歌劇団に入団し、娘役スターとして活躍した京マチ子は、昭和23年暮れの日劇のショウ「世界のクリスマス」で七面鳥ブギを踊って注目された後、同24年に大映へ入社。この公演では大映から東宝の舞台への出演という形であった。
翌25年には黒澤明監督の「羅生門」に出演し、世界的にも注目を浴びている。「羅生門」の京マチ子、良かったもんなあ。
一方の冗談音楽は、三木鶏郎を中心に、三木のり平、小野田勇(のちに脚本家に)、河井坊茶、丹下キヨ子というメンバー。
昭和22年にスタートしたNHKのラジオ番組「日曜娯楽版」の「冗談音楽」は全国的な人気を博していた。
三木鶏郎が作詞・作曲した「僕は特急の機関士で」「田舎のバス」、ミツワ石鹸やキリンレモンや明るいナショナルやくしゃみ三回ルル三錠や船橋ヘルスセンターなどのCMソング、「鉄人28号」「トムとジェリー」のテーマ曲は、どれも名曲だね。
昭和11年に大阪松竹少女歌劇団に入団し、娘役スターとして活躍した京マチ子は、昭和23年暮れの日劇のショウ「世界のクリスマス」で七面鳥ブギを踊って注目された後、同24年に大映へ入社。この公演では大映から東宝の舞台への出演という形であった。
翌25年には黒澤明監督の「羅生門」に出演し、世界的にも注目を浴びている。「羅生門」の京マチ子、良かったもんなあ。
一方の冗談音楽は、三木鶏郎を中心に、三木のり平、小野田勇(のちに脚本家に)、河井坊茶、丹下キヨ子というメンバー。
昭和22年にスタートしたNHKのラジオ番組「日曜娯楽版」の「冗談音楽」は全国的な人気を博していた。
三木鶏郎が作詞・作曲した「僕は特急の機関士で」「田舎のバス」、ミツワ石鹸やキリンレモンや明るいナショナルやくしゃみ三回ルル三錠や船橋ヘルスセンターなどのCMソング、「鉄人28号」「トムとジェリー」のテーマ曲は、どれも名曲だね。
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【西条昇のレヴュー史研究】パリのレヴュー界で一世を風靡した〝黒いヴィーナス〟ジョセフィン・ベイカー
アメリカのミズーリ州セントルイス出身の〈黒いヴィーナス〉ジョセフィン・ベイカーは16歳でデビュー後、アメリカのボードビル一座や黒人のレヴュー・グループを経て1925年10月にパリのシャンゼリゼ劇場に出演すると、たちまちパリの人気を独り占めし、ピカソやヘミングウェイもその虜となった。
腰にたくさんのバナナを付けてトップレスでチャールストンを踊るステージは一世を風靡し、1920年代後半から30年代にかけてカジノ・ドパリやフォリー・ベルジュールなどパリの一流レヴュー劇場のトップスターとして活躍。
ベイカーが出演した映画は戦前の日本でも公開されており、日本のレヴューやストリップの世界にも大きな影響を与えている。
腰にたくさんのバナナを付けてトップレスでチャールストンを踊るステージは一世を風靡し、1920年代後半から30年代にかけてカジノ・ドパリやフォリー・ベルジュールなどパリの一流レヴュー劇場のトップスターとして活躍。
ベイカーが出演した映画は戦前の日本でも公開されており、日本のレヴューやストリップの世界にも大きな影響を与えている。