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【西条昇のストリップ史コレクション】昭和30年代後半の渋谷百軒店「テアトルSS」のさよなら公演プログラム

2019-03-13T22:19:33.jpg2019-03-13T22:19:33.jpg手元にある、昭和30年代後半の渋谷百軒店のストリップ劇場「テアトルSS」のパンフ。
ちょうど、この時が2年近く続いた同劇場でのストリップ興行のさよなら公演とのことで、題して「お別れね! マタ開くまで」。
上手いねえ。表紙デザインも良い感じ。
幕間コントに出演のコメディアンは、のちにギャグ・メッセンジャーズに入る丘さと志と、のちに橋達也とストレートコンビを組む花かおる(ここでは、花カオル)ら。
次週の興行から映画館となり、間もなく閉館してしまった。

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【西条昇のバーレスク史研究】バーレスク映画「ダダ博士の媚薬」

2019-03-13T21:41:13.jpgこれ、観てみたいなあ。
〈本邦最初の本格バーレスク映画〉「ダダ博士の媚薬」。
〝カリガリ博士風のマッド・ドクターがショーの楽屋に乗り込んで道化師の脳みそから縫ぐるみのゴリラを「原子力よりも強い"類人猿兵士"」として造り出してショーに売り込む〟というストーリーとのこと。
〈官能と怪奇!のたうつ女体!現代の神話!〉。
提供は東宝芸能だ。

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【西条昇の芸能史コレクション】戦前の岡本姉妹のアクロバチック・ダンス公演のチラシ

2019-03-13T21:19:08.jpg手元にある、戦前の神戸阪急会館での岡本八重子・文子姉妹によるアクロバチック・ダンス公演のチラシ。
アメリカで生まれ育った岡本姉妹は来日後、今で言うコントーションを売り物に様々な舞台で活躍した。

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【西条昇の喜劇史コレクション】昭和8年のエノケンと其の一党 新宿進出第1回公演の告知

2019-03-13T19:25:44.jpg手元にある、昭和8年4月のS・Y掲載のエノケンと其の一党 ピエル・ブリアント 新宿進出第一回公演の告知。
〈笑の尖端・モダン・ナンセンスの人気王!〉〈サア、皆様!これぞ名高き「笑」の突撃隊!その當る處コンクリートもとかすと云ふ「笑」の魔力愈新宿迄進出!〉との時代がかったコピーと、インパクトのあるエノケンの似顔イラストが良いね。
エノケンのレヴュー喜劇を初めて観る新宿の人々はどんな反応を示したのかな。

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【西条昇メディア掲載情報】某新聞からコメント取材を

先ほど、某新聞からのコメント取材を受けました。
詳しくは、また追って。
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【西条昇の演芸史コレクション】昭和18年の神楽坂演舞場のプログラム

2019-03-13T17:05:59.jpg2019-03-13T17:05:59.jpg手元にある、昭和18年5月の東宝直営の神楽坂演舞場のプログラム。
昭和初期は神楽坂演芸場として親しまれたが昭和10年に神楽坂演舞場に改称。昭和18年3月に東宝直営となり、このプログラムは、その2ヶ月後のものだ。
主な出演は、主任が六代目・春風亭柳橋、七代目・林家正蔵、五代目・古今亭志ん生、二代目・桂小文治、六代目・三遊亭圓生、柳家小きんはのちの五代目・柳家小さんである。他に講談の五代目・宝井馬琴、操り人形の東宝人形劇、中国奇術の李彩・小李彩親子など。
このうち、僕が生の高座を観ることができたのは、柳橋、圓生、小さん、馬琴、戦後に李彩になった小李彩である。
神楽坂に近い飯田橋で生まれ育った僕は、父親と神楽坂を歩く度に、「ここが神楽坂演舞場のあったところだよ」と聞かされたものだ。

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