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【西条昇のレビュー史コレクション】抜取工作 たのしいレビュー [レヴュー]

2021-11-13T20:56:10.jpg抜取工作 たのしいレヴュー。
番号に合わせて差し込んで組み立てると、宝塚劇場の豪華なレヴュー場面の出来上がり。

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【西条昇のレヴュー史コレクション】昭和9年の宝塚花組のレヴュー「軍艦旗に栄光あれ」マッチラベル [レヴュー]

2018-12-08T21:38:27.jpg手元にある、昭和9年10月の宝塚大劇場での宝塚少女歌劇団花組によるレヴュー「軍艦旗に栄光あれ」のマッチラベル。
〈海軍省軍事普及部提供〉とあり、レヴューにも、そろそろ軍事色の強い演目が増え始める頃だったのだろう。
他に、白井鐵造・作のオペレット・レヴュー「野すみれ」と舞踊劇「猫」も上演。

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【西条昇のレヴュー史コレクション】昭和8年の宝塚月組の大レヴュー「花詩集」マッチラベル [レヴュー]

2018-12-08T17:36:32.jpg手元にある、昭和8年8月の宝塚大劇場での宝塚少女歌劇団月組による大レヴュー「花詩集」のマッチラベル。
「花詩集」は「パリゼット」と並ぶ白井鐵造の代表作で、宝塚レヴューの路線を決定づけた作品と言える。
平成26年には宝塚歌劇団創立100年を記念して「TAKARAZUKA 花詩集100!!」が上演された。

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【西条昇のレヴュー史コレクション】昭和8年の宝塚花組の大レヴュー「世界一周」マッチラベル [レヴュー]

2018-12-08T10:20:24.jpg手元にある、昭和8年(1933)4月の宝塚大劇場での宝塚少女歌劇団花組による歌劇二十周年記念 大レヴュー「世界一周」のマッチラベル。イラストが可愛いね。
歌とダンスと寸劇で繋ぐ世界めぐりは、もともとレヴューの基本形の一つであり、昭和2年の「モン・パリ」もその形で構成されていた。
また、昨年の浅草ロック座のショーのテーマも世界めぐりであったし、ジャニー喜多川さん構成・演出の舞台にも良く世界めぐりの場面が登場する。

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【西条昇のレヴュー史コレクション】昭和8年の宝塚月組のレヴュー「巴里ニューヨーク」のマッチラベル [レヴュー]

2018-12-07T11:22:58.jpg手元にある、昭和8年2月の宝塚大劇場での宝塚少女歌劇団月組による大レヴュー「巴里ニユーヨーク」(作・演出 白井鐵造)のマッチラベル。
好評に付続演とあるように同作品は同年1月には花組によって上演されていた。
他に、歌劇「追儺物語」、バレー「サーカス」、大舞踊「鏡獅子」も上演。

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【西条昇のレヴュー史コレクション】昭和34年の大阪松竹歌劇団の新歌舞伎座公演「夏のおどり」パンフ [レヴュー]

2018-11-28T19:08:26.jpg2018-11-28T19:08:26.jpg手元にある、昭和34年7月の大阪松竹歌劇団 新歌舞伎座進出初公演「夏のおどり」のパンフ。
表紙イラストが好きだな。
グランド・フラワー・レビュー「夏のおどり 花の凱旋門」の作者は今東光である。
トップは勝浦千浪で、僕は後年、この人を松竹新喜劇の舞台で何度も観ている。

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【西条昇の上方芸能史コレクション】昭和5年の大阪・市岡パラダイスのプログラム「パラダイスニュース」 [レヴュー]

2018-11-26T18:48:31.jpg2018-11-26T18:48:31.jpg2018-11-26T18:48:31.jpg手元にある、昭和5年(1930)8月の大阪・市岡パラダイスのプログラム「パラダイスニュース」。
市岡パラダイスは大正14年(1925)~昭和5年に大阪市港区夕凪に存在した大娯楽施設で、園内には大劇場、野外劇場、千人風呂、活動写真館、日本初の屋内スケートリンクであった北極館、明光館、遊園地、動物園などがあった。
このプログラムの時は、野外演技場には女性出演者が売りの赤林曲馬団が出演し、明光館では萬歳緒芸大会が開催された。
大仕掛花火大会の予告も掲載されているが、市岡パラダイスはこの年のうちに大浴場を除いて閉鎖されている。

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【西条昇のレヴュー史コレクション】八千草薫が出演の宝塚歌劇団雪組公演のパンフ [レヴュー]

2018-11-18T18:02:18.jpg2018-11-18T18:02:18.jpg手元にある、昭和30年7月28日からの東京宝塚劇場での宝塚歌劇雪組公演のパンフ。
表紙の劇場名の下に旧アーニー・パイル劇場とあるように、戦後はGHQに接収されていたが、この半年ほど前に東宝に返還されていた。
にしても、宝塚時代の八千草薫さん可愛いな。

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【西条昇の少女歌劇史コレクション】昭和初期の鶴見園女優歌劇のプログラム [レヴュー]

2018-11-17T21:22:26.jpg2018-11-17T21:22:26.jpg手元にある、昭和初期の〝九州版宝塚〟鶴見園女優歌劇のプログラム。
バラエティー「ダンセ・ツルミ」の幕間の寸劇は〝スケッチ〟と記されている。

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【西条昇のコント史コレクション】昭和9年の宝塚少女歌劇「ヂャブヂャブ・コント」のマッチラベル [レヴュー]

2018-11-16T17:02:22.jpg手元にある、昭和9年8月の宝塚大劇場での宝塚少女歌劇雪組のノンストップ・レヴュウ「ヂャブヂャブ・コント」のマッチラベルを見て、日本の舞台芸能で最初に「コント」という言葉を使ったのは喜劇・演芸のジャンルではなく宝塚歌劇だったという思いを強くした。
〈コント〉はもともとフランス語で短編小説を意味し、戦前の日本ではユーモアやウィットに富んだ短編小説として理解され、当時刊行された「コント集」と題した書籍は舞台演芸としてのコント台本集ではなく、いわゆるユーモア短編小説集であった。
舞台芸能としての笑わせる寸劇のことは、昭和4年のエノケンたちの「カジノ・フォーリー」以来、〈ナンセンス・スケッチ〉と銘打たれていた。
日本のストリップ誕生のキッカケとなった「額縁ショウ」が生まれた昭和22年の新宿・帝都座での「帝都座ショウ」でコメディアンの山田周平らがダンスや歌の景の間に演じた景も〈ナンセンス・スケッチ〉と題されていた。
それが本格的なストリップ全盛期に入った昭和20年代後半あたりから幕間の笑わせる寸劇が「コント」と言われるようになり、ストリップ劇場出身の由利徹・八波むと志・南利明による「脱線トリオ」が出演した昭和31年スタートの「お昼の演芸」の脱線コントをキッカケに演芸としての〈コント〉という言葉が全国的に定着していったのだ。
宝塚歌劇団は昭和2年の「モン・パリ」以来、フランスの〈レヴュー〉という芸能ジャンルを採り入れており、フランスつながりで「コント」という言葉を使ったのだろう。

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