【西条昇のレヴュー史コレクション】昭和2年の宝塚少女歌劇団のレヴュー「モン・パリ」の楽譜 [レヴュー]



日本のレヴューは、ここから始まった!
岸田劉生の弟で帝国劇場歌劇部出身の岸田辰彌が小林一三の命を受けて海外の舞台を視察した成果をレヴュー形式にまとめたもので、岸田自身がモデルの串田福太郎という役が狂言回しとして登場する。
岸田が作詞した主題歌は、曲も良いが、やはり、詞がずば抜けて良い。
【西条昇の少女レヴュー史コレクション】昭和初期のニセ宝塚歌劇団のチラシ [レヴュー]


「涼艶萃麗秋の大レヴュー!!」とのキャッチ・コピーに、「宝塚舞踊歌劇団」との劇団名。
はじめは普通に当時の宝塚少女歌劇のものかと思ったが、よく見てみると、「輝く明眸とエロの放散!!」との謳い文句やレパートリーの中に「エロオンパレード」「エロ行進曲」と書かれていたり、「清く正しく美しく」の宝塚らしからぬ「エロ」というフレーズが三ヶ所も使われている。
いくつかの踊り子たちの写真のポーズや衣装などを見ても、エロ・グロ・ナンセンスで売った浅草レヴューのイメージに近い。
また、特別出演の汐路美枝子嬢の肩書きには大阪宝塚少女歌劇部出身とあり、図らずも本家の宝塚歌劇とは違うことを露呈している。
エノケンにあやかったエノケソのようなものだったのだろう。
【西条昇の海外レヴュー研究】ラスベガスのセクシー・レヴュー「ファンタシー」 [レヴュー]
【西条昇のレヴュー史コレクション】昭和5年の演劇雑誌「劇」の〈エロの世界 レヴュー三座〉グラビア・ページ [レヴュー]
手元にある、国際情報社発行の演劇雑誌「劇(The Play)」昭和5年(1930)十月號より。
〈エロの世界 レヴュー三座〉と題したグラビア・ページ。
当時流行したエロ・レヴュー団の舞台を取り上げたもので、写真上から、新宿松竹座の羽田歌劇(ハダカゲキ)、浅草水族館のカジノフォリー、新宿劇場でのマキノの新舞踊団。
ゴージャスな宝塚や松竹の少女レヴューとは、また違う楽しさがあった。
〈エロの世界 レヴュー三座〉と題したグラビア・ページ。
当時流行したエロ・レヴュー団の舞台を取り上げたもので、写真上から、新宿松竹座の羽田歌劇(ハダカゲキ)、浅草水族館のカジノフォリー、新宿劇場でのマキノの新舞踊団。
ゴージャスな宝塚や松竹の少女レヴューとは、また違う楽しさがあった。

【西条昇の少女歌劇史コレクション】昭和5年の演劇雑誌「劇」の松竹楽劇部「松竹オン・パレード」のグラビア・ページ [レヴュー]
手元にある、国際情報社発行の演劇雑誌「劇(The Play)」昭和5年(1930)十月號より。
松竹楽劇部(東京方)総出演「松竹オン・パレード」の舞台写真のグラビア・ページ。
当時の松竹がレヴューに関しては先行した宝塚少女歌劇に負けてなるかと、いかにパリのレヴューを研究し、その豪華感を取り入れていたかが良く分かる。
松竹楽劇部(東京方)総出演「松竹オン・パレード」の舞台写真のグラビア・ページ。
当時の松竹がレヴューに関しては先行した宝塚少女歌劇に負けてなるかと、いかにパリのレヴューを研究し、その豪華感を取り入れていたかが良く分かる。

【西条昇の少女歌劇史コレクション】昭和6年の演劇雑誌「劇(The Play)」裏表紙の松竹楽劇部の写真 [レヴュー]
手元にある、国際情報社発行「劇(The Play)」昭和6年(1931)新年號。
裏表紙の写真は松竹楽劇部(松竹少女歌劇団、松竹歌劇団の前身)の東京方の面々。
当時の松竹レヴューの華やかさが伝わってくるね。
裏表紙の写真は松竹楽劇部(松竹少女歌劇団、松竹歌劇団の前身)の東京方の面々。
当時の松竹レヴューの華やかさが伝わってくるね。

【西条昇のラスベガス・レヴュー研究】リビエラのレヴュー「クレイジー・ガールズ」のモニュメントの前で [レヴュー]
何年か前にラスベガスに色々なショーを観に行った時にRivieraの入り口にあるレヴュー「Crazy Girls」のモニュメントの前で撮った写真が出てきた。
みんながお尻の部分に手を当てた状態で記念写真を撮るもんで、テッカテカになってたっけ。
みんながお尻の部分に手を当てた状態で記念写真を撮るもんで、テッカテカになってたっけ。

【西条昇のレヴュー史コレクション】東宝設立25周年記念の日劇「秋のおどり」英文チラシ [レヴュー]
手元にある、東宝設立25周年記念の日劇ダンシングチーム「秋のおどり」日劇公演の英文チラシ。
東宝は昭和7年(1932)に株式会社東京宝塚劇場として設立されているから昭和32年(1957)の物か。
デザインが洒落てるね。
ビア・サロン「アルビオン」の広告の写真の美女たちもいい感じ。


東宝は昭和7年(1932)に株式会社東京宝塚劇場として設立されているから昭和32年(1957)の物か。
デザインが洒落てるね。
ビア・サロン「アルビオン」の広告の写真の美女たちもいい感じ。




【西条昇の少女歌劇史コレクション】昭和15年の大劇での松竹ショウのプログラム [レヴュー]
手元にある、昭和15年(1940)7月の大劇(大阪劇場)での第一回「松竹ショウ」プログラム。
出演は、〝O・S・S・K(大阪松竹少女歌劇団)が誇る五大スター〟秋月恵美子、水上ましろ、芦原千津子、勝浦千浪、静波秀子に、〝半島一の歌姫〟李玉蘭の他、松竹ロケットガールズ、松竹ラッキーフラワー、松竹ジェルモンシスター、松竹バクオン部隊ら。
芦原千津子さん美しいな。
出演は、〝O・S・S・K(大阪松竹少女歌劇団)が誇る五大スター〟秋月恵美子、水上ましろ、芦原千津子、勝浦千浪、静波秀子に、〝半島一の歌姫〟李玉蘭の他、松竹ロケットガールズ、松竹ラッキーフラワー、松竹ジェルモンシスター、松竹バクオン部隊ら。
芦原千津子さん美しいな。


【西条昇のレヴュー史研究】「ジーグフェルド・フォリーズ1918」のポスター [レヴュー]
〈アメリカのレヴュー王〉フローレンツ・ジーグフェルドが1918年にニューヨークのニューアムステルダム劇場でプロデュースした「ジーグフェルド・フォリーズ1918」のポスター。今から丁度、100年前の物だ。
ジーグフェルド・ガールズと言われた美女たちの顔が並んでいる。
ジーグフェルド・フォリーズは、フローレンツ・ジーグフェルドがパリのフォリー・ベルジュールやカジノ・ド・パリのレヴューのアメリカ版を狙って製作したもので、1907年~1931年まで毎年、贅沢にお金をかけた豪華レヴューの新作が製作された。
パリのレヴューと同様、美しい裸女たちも登場する。
ジーグフェルド・ガールズと言われた美女たちの顔が並んでいる。
ジーグフェルド・フォリーズは、フローレンツ・ジーグフェルドがパリのフォリー・ベルジュールやカジノ・ド・パリのレヴューのアメリカ版を狙って製作したもので、1907年~1931年まで毎年、贅沢にお金をかけた豪華レヴューの新作が製作された。
パリのレヴューと同様、美しい裸女たちも登場する。
