【西条昇の永井荷風研究】「濹東綺譚」の映画版と演劇版について [永井荷風]


1964年には菊田一夫の脚本・演出により日比谷・芸術座で劇化上演。お雪は山田五十鈴だった。
1972年に芸術座で再演された際のお雪役は中村玉緒が演じている。
【西条昇イベント情報】開催延期の「永井荷風と浅草芸能」第二回めが7月11日に開催 [永井荷風]
【西条昇イベント情報】5/16(日)開催予定の「永井荷風と浅草芸能」第二回めは緊急事態宣言延長のため延期に [永井荷風]
東武博物館ホールでの講演会「永井荷風と浅草芸能」第一回め、無事、終わりました。 [永井荷風]
【西条昇メディア掲載情報】東武博物館での講演会「永井荷風と浅草芸能」についての記事が東京新聞に [永井荷風]
【西条昇イベント情報】東武博物館での「永井荷風と浅草芸能」第一回が明日4/18(日)開催 [永井荷風]
【西条昇イベント情報】向島文化サロン講演会「永井荷風と浅草芸能」 [永井荷風]

東武友の会 クレソンサークル https://www.tobu-tomonokai.co.jp/ikebukuro/salon/
以下、詳細です。
文豪・永井荷風と浅草六区は切っても切り離せない関係にあります。戦前はオペラ館、戦後は大都劇場、ロック座に日夜通って戯曲を提供。小説「踊子」「勲章」はオペラ館を題材にしたものです。荷風を虜にした浅草の芸能とはどんなものだったのか。代表作「濹東綺譚」の舞台となった旧・玉の井近くの東武博物館で、豊富な浅草芸能資料のコレクションを駆使しながら、荷風と浅草の関係に迫ります。
第一回「明治末の宮戸座から戦前・戦中のオペラ館まで」2021年4月18日(日)午後2時〜3時30分
荷風は、明治末に浅草公園裏の宮戸座の芝居に歌舞伎の本質を見出だし、小説「すみだ川」で宮戸座の光景を描いています。その後、しばらく浅草芸能と距離を置いていたものの、昭和12年から六区にあったレヴュー劇場のオペラ館に連日通いつめて、戯曲「葛飾情話」を提供。その楽屋通いは、空襲に備えて昭和19年3月にオペラ館が閉館するまで続きました。
第二回「戦後、再び浅草へ・・・ロック座とフランス座」2021年5月16日(日)午後2時〜3時30分
疎開から戻った荷風は、昭和23年から常盤座、大都劇場、ロック座などの六区の劇場に通い、踊り子や女優との交流を深めます。その頃の六区ではストリップが大流行し、ロック座に続いて昭和26年に開場したフランス座にも通いました。戦後から世を去るまで荷風が過ごした浅草での日々とは…。
場所:
東武博物館ホール
東武スカイツリーライン「東向島駅」下車
定員:
60名(応募多数の場合は抽選)
※政府・自治体の要請により、定員を変更する場合があります。
参加費:
無料
応募条件:
第1回・第2回の講演は2回1セットの応募
(個別の応募はできません)
主催:
東武博物館
応募方法:
申し込みフォームより必要事項をご入力して、送信してください。
締切:
2021年3月17日(水)
※当選者には約1週間を目途に、当選ハガキ(入場券)を発送させていただきます。
※落選の通知はございません。
お問合せ:
東武友の会 TEL. 047-425-7283
東武友の会 クレソンサークル
【西条昇の浅草の永井荷風研究コレクション】「国際写真情報」の〝永井荷風氏 急死す〟の記事 [永井荷風]
【西条昇の浅草の永井荷風研究】荷風の小説「裸體」を劇化上演した際の新聞広告 [永井荷風]
昭和25年2月に浅草ロック座で永井荷風・原作「裸體」(脚色演出・仲澤清太郎)が上演された際の新聞広告。
前年に浅草・大都劇場の劇団「美貌」のために「停電の夜の出来事」と「春情鳩の街」の二本の戯曲を書き下ろしていた荷風をロック座にも来てもらうために、当時、ロック座の座長格の伴淳三郎が荷風の小説「裸體」の舞台化を企画したとのこと。
荷風は昭和23年の春に約4年ぶりに浅草を訪れ、ロック座に通っていたが、その後、桜むつ子の居た常盤座や高杉由美の居た大都劇場の方に通うことが多くなっていた。
この頃はすでに大都劇場での実演が無くなっており、バンジュンの思惑通り、荷風はロック座の楽屋を訪れるようになり、この年の5月にはロック座のために戯曲「渡り鳥いつ帰る」を書き下ろしている。
しかし、当のバンジュンは荷風と入れ替わりでロック座を去り、映画界に進出していくのであった。
前年に浅草・大都劇場の劇団「美貌」のために「停電の夜の出来事」と「春情鳩の街」の二本の戯曲を書き下ろしていた荷風をロック座にも来てもらうために、当時、ロック座の座長格の伴淳三郎が荷風の小説「裸體」の舞台化を企画したとのこと。
荷風は昭和23年の春に約4年ぶりに浅草を訪れ、ロック座に通っていたが、その後、桜むつ子の居た常盤座や高杉由美の居た大都劇場の方に通うことが多くなっていた。
この頃はすでに大都劇場での実演が無くなっており、バンジュンの思惑通り、荷風はロック座の楽屋を訪れるようになり、この年の5月にはロック座のために戯曲「渡り鳥いつ帰る」を書き下ろしている。
しかし、当のバンジュンは荷風と入れ替わりでロック座を去り、映画界に進出していくのであった。

【西条昇の浅草の荷風コレクション】ロック座の楽屋で踊り子に囲まれる荷風の写真が掲載されたサン写真新聞 [永井荷風]
手元にある、浅草ロック座の楽屋でお気に入りの清水田鶴子をはじめとする朝日浮世絵ショウの踊り子たちに囲まれ、ご機嫌で三味線を弾く永井荷風の写真を一面に掲載した昭和26年11月4日のサン写真新聞の記事。
「あらやだ、先生」なんて声が聞こえてきそうだな。
「あらやだ、先生」なんて声が聞こえてきそうだな。
