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【西条昇のレヴュー史コレクション】昭和14年の日劇での吉本ショウのステージ写真 [吉本]

手元にある、昭和14年(1939)8月の日劇での吉本ショウ「歌ふ豪華船」のステージ写真。
吉本興業は昭和9年3月にアメリカから招聘したマーカス・ショウの日劇公演を実現させて話題を呼んだが、昭和10年11月に浅草に東京花月劇場を開場してスタートさせた吉本ショウにも日劇公演をさせていたのだ。
ちなみに、この年の春に新興キネマ演芸部に引き抜かれた「あきれたぼういず」の三人(坊屋三郎、益田喜頓、芝利英)は出演していない。20181018_124930.jpg20181018_124935.jpg
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【西条昇の吉本演芸史コレクション】昭和15年の吉本直営の名古屋劇場での柳家三亀松出演時のプログラム [吉本]

手元にある、昭和15年5月の吉本興業直営の名古屋劇場のパンフ。
戦前の吉本の顔の一人であった柳家三亀松師匠の特別出演である。
僕が物心ついた頃には、もう亡くなられていたが、小学生5、6年生の頃にNHKラジオで往年の高座のテープを聴いて、いっぺんにファンになり、よく「新婚熱海の一夜」とかを物真似したりしていたものだ。
♪鬢のほつれは~、ハッ!
「お願い、もうひとつやってぇ~」「いやぁ~ん、バカ…」
好きだなあ!
NYSダンシングチームのNYSとはニューヨークシティの略ではなく名古屋吉本の略である。
NMB48とかSKE48みたいだな。20181013_114049.jpg
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【西条昇の吉本演芸史コレクション】昭和13年頃の名古屋劇場でのエンタツ・アチャコの芝居のパンフ [吉本]

手元にある、昭和13年頃の吉本興業直営の名古屋劇場のパンフ。
エンタツ・アチャコのお芝居「彌次喜多 角力道中記」五景。
横山エンタツ・花菱アチャコと言えば、昭和5年に結成され、二人が確立した「しゃべくり漫才」は全国的な人気を得るものの、昭和9年のアチャコの中耳炎での入院を機に高座でのコンビは事実上解散。エンタツは杉浦エノスケ、アチャコは千歳家今男と高座用のコンビを組み、昭和11年の「あきれた連中」以降は映画でのみコンビを復活されたと言われるが、こうして喜劇の実演でも共に舞台に立っていたことが分かる。
それぞれのその時点での相方であるエノスケや今男も出演しているが、エンタツ・アチャコの漫才的な絡みはどのくらいあったのだろうか。20181012_174041.jpg
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【西条昇の大阪 軽演劇史コレクション】若き間寛平が出演していた新世界・温泉劇場のプログラム [吉本]

手元にある、若き間寛平(当時は〝はざま貫平〟)さんが出演していた昭和44年の新世界・温泉劇場(通称〝温劇〟)のプログラム。
寛平さんは第一部 ピンクバーレスク「色と欲」のプロローグでスター紹介の司会をしている他、コメディ・ド・Hの一員として2つの幕間コントに出演。翌45年には吉本新喜劇に入団している。
温劇で芸を磨いてから吉本新喜劇で活躍した人には他に「ポンカラキンカンコン」の守住清、「われこ、われこ」の由利謙、「だれがカバやねん」の原哲男らが居た。
第二部 特出大会の特出(トクシュツ)とは特別出演の略で、特別出演扱いのスター級ばかりを集めた大会という意味合いであったが、のちに〝特別に出す〟という意味から「特出し」という読み方が一般的になった。20180816_200843.jpg20180816_200916.jpg20180816_200930.jpg
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【西条昇の吉本演芸史コレクション】昭和10年代の東京花月劇場 吉本ショウ ダンシングチームの写真 [吉本]

手元にある、昭和10年代前半の浅草・東京花月劇場 吉本ショウのダンシングチームの写真。
高見順が贔屓にした踊り子の立木雅子と小柳咲子は昭和14年春に「あきれたぼういず」の三人(坊屋三郎、益田キートン、芝利英)と共に新興キネマ演芸部に引き抜かれて移籍してしまう。20180807_074139.jpg
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【西条昇の吉本演芸史コレクション】昭和14年の名古屋劇場の公演プログラム [吉本]

手元にある、昭和14年(1939)1月の吉本直営による名古屋劇場での公演プログラム。
次週は、ナゴヤ ヨシモト・ショウ躍進公演「早春交響楽」14景と、軽喜劇第二回公演「聖戦以前」3景で、映画は丹下左膳大会である。
当時、吉本は東京・名古屋・大阪にダンシング・ガールズを含む吉本ショウを持っていた。
現在で言えば、AKB48・SKE48・NMB48のようなチームを傘下に収めていたようなものだろう。20180730_002955.jpg
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【西条昇の吉本演芸史コレクション】昭和17年の名古屋劇場での公演プログラム [吉本]

手元にある、昭和17年3月の吉本直営の名古屋劇場での「川田義雄と乳兄弟」出演の公演パンフ。
あきれたぼういず分裂後に吉本に残った川田は、菅井太郎(のちに有木三太に交代)、頭山光、弟の岡村龍雄と「川田義雄とミルク・ブラザース」(ミルス・ブラザースの語呂と乳兄弟の意味をかけたもの)を結成。
前年12月の日米開戦後は「乳兄弟」と表記することが多くなった。
〈堅忍持久はこれからだ!〉〈将兵は今日も戦火に突入しているぞ〉とのフレーズを目にしてから演芸を見る時代であった。20180728_184249.jpg
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【西条昇の上方演芸史コレクション】昭和35年のうめだ花月のプログラム [吉本]

手元にある、昭和35年12月のうめだ花月のプログラム。
中席、下席ともに、吉本ヴァラエティは笑福亭松之助、ステレオ・コントは守住清が主役であり、他に白羽大介、平参平、横山アウト、秋山たか志、市岡輝夫(のちの岡八郎)らが出演。
演芸では、中席に洋介・喜多代、林家染丸、ワカナ・一郎、下席に五九童・蝶子、ヒノデ・サクラ、漫画トリオ、桂米朝、三平・四郎、唄子・啓助ほか。20180725_084803.jpg20180725_084807.jpg
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【西条昇の吉本レヴュー史コレクション】昭和14年の名古屋ヨシモト・ショウと北京舞楽院の合同公演のプログラム [吉本]

手元にある、昭和14年4月の吉本直営の名古屋劇場での名古屋ヨシモト・ショウと北京舞楽院との合同公演のパンフ。
〈興亜建設の春に捧ぐ〉とか〈新大陸の曙をひらく変転多彩の東洋讃歌!〉とか〈大陸芸術の紹介につとめる吉本名劇が朝鮮楽劇団につづいて新世紀の朗春に捧げる興亜絵巻第二弾!〉とかの惹句が良いね。
さすが吉本。観てみたかったな。
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【西条昇の演芸史コレクション】昭和10年のヨコハマ花月のプログラム [吉本]

手元にある、昭和10年(1935)1~2月のヨコハマ花月のプログラム。
柳家金語楼による実演「俺は水兵」、曽我廼家一二三らによる喜劇、裴亀子舞踊団の朝鮮舞踊、吉花會舞踊、吉本爆笑演芸陣というバラエティーに富んだ番組編成と言える。
〈いつ来て見てもオモシロイ〉〈明日の幸福は今日のお笑ひ〉。
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