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【西条昇の浅草演芸史コレクション】昭和12年の浅草・東京花月劇場のプログラム [吉本]

手元にある、昭和12年2月発行の浅草・東京花月劇場のプログラム。
P・C・L映画「戦国群盗伝」第一部 虎狼篇の上映に加え、第48回 吉本ショウ「すゐんぐ・かげつ」、ピッコロ座「青春薄暮調」と吉本爆笑演芸陣という番組編成である。
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【西条昇の浅草演芸史コレクション】昭和12年の浅草・東京花月劇場のプログラム [吉本]

手元にある、昭和12年1月発行の浅草・東京花月劇場のプログラム。
エンタツ・アチャコ主演の映画「心臓が強い」の他、第45回 吉本ショウ「スマイリング・ジャニュアリ」、柳家金語楼の実演「なすな恋 森の石松」、ピッコロ座「閣下と娘」に吉本明朗演芸陣という番組編成である。
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【西条昇の浅草喜劇史コレクション】昭和12年の浅草・東京花月劇場のプログラム [吉本]

手元にある、昭和12年(1937)1月14日発行の浅草・東京花月劇場のプログラム。
P・C・L映画「エノケンの吾妻錦絵 江戸っ子三太」の上映に、第44回 吉本ショウ「カム・オン・スプリング」と、ピッコロ座「人生快道」という番組編成である。
ピッコロ座の配役表には、谷崎歳子の名前があるが、この公演3日前の1月11日に娘の江利チエミを生んでいる谷崎は出演できたのだろうか。
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【西条昇の浅草レヴュー史コレクション】昭和11年大晦日発行の東京花月劇場のプログラム [吉本]

手元にある、昭和11年大晦日発行の浅草・東京花月劇場のプログラム。
柳家金語楼が主演のP・C・L映画「武士道朗かなりし頃」の上映と、実演は〈笑ひとスリルジャズの超特急〉第42回 吉本ショウ「ヴヴ・オブ・キングダム」、ピッコロ座 新春第1回公演「丑は牛づれ」に、吉本爆笑演芸陣という番組編成である。
吉本ショウには、「あきれたぼういず」結成前の川田義雄、坊屋三郎、芝利英(益田喜頓はまだ出ておらず)、浅草オペラ出身の町田金嶺、タップダンスの中川三郎、ベビーコーンタップのミミー宮島、コメディアンのオオタケタモツらに加え、P・C・Lスターの山縣直代と夏目初子がゲスト出演している。
ダンシング・ガールの立木雅子と小柳咲子は高見順が贔屓にした踊り子で、高見の小説「如何なる星の下に」で主人公の倉橋が思いを寄せる劇場の踊り子は二人を合体させた小柳雅子という名前になっている。
ピッコロ座の芝居には江利チエミの母親である谷崎歳子の名前も見られるが、谷崎はこの公演直後の昭和12年1月12日にチエミを生んでおり、お腹が大きいまま出演していたということか。
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【西条昇の演芸史研究】戦時の大阪・北の新地の花月倶楽部のプログラム [吉本]

手元にある、戦前の大阪・北の新地の花月倶楽部のプログラム。
大阪・梅田の花月倶楽部は、吉本が買収する以前から永楽館として、大阪を代表する寄席の一つであった。
京阪神をはじめ、関東にも多くの直営の劇場を持っていた吉本にとって、キタの花月倶楽部、ミナミの南地花月は、勢力拡大の原点とも言うべき大切な小屋として位置づけられていた。
主な出演は、東京から来演の〈粋曲百態〉柳家三亀松、〈講談界の王者〉神田伯龍、〈漫談界の第一人者〉井口静波の他、漫才のエンタツ・エノスケ、雁玉・十郎、落語では二代目・桂春團治ら、漫談の花月亭九里丸など。
〈無敵吉本豪華演芸〉との惹句の通りの豪華メンバーが揃っている。
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【西条昇の演芸史研究】戦前の南地花月の明朗 吉本爆笑大会のプログラム [吉本]

手元にある、戦前の南地花月の明朗 吉本爆笑大会のプログラム。
月を型どって丸い穴が開いて、端のほうが雲のようになっている独特のデザインのプログラムが面白いな。
真ん中から折ると、丁度、丸い穴から「東京落語の大御所 桂文楽 待望の来演!」の文字が見える仕掛けになっている。
もともと明治期から法善寺の南側にあった金沢亭という寄席だったが、吉本に買収され、大正4年に南地花月と改称している。
昭和10年代の吉本直営の劇場の多くは、演芸と共にレビューや喜劇や剣劇などを上演していたが、南地花月は漫才や落語を中心とした従来の寄席の形式を続けていた。
この時の主な出演は、東京から来演の八代目・桂文楽をはじめ、二代目・桂春團治、光晴・夢若、ミヤコ蝶々と東敏夫の漫才、奇術(擬声漫談も行っていた)のアダチ龍光など。
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【西条昇の演芸史研究】戦時下の京都花月劇場のプログラム [吉本]

手元にある、戦時下の京都花月劇場のプログラム。
表紙は、大東亜戦争図である。
演目は、川田義雄と乳兄弟(ミルクブラザース)の「太平洋に朝が来る」、楽団新東響の「軍国歌謡と軽音楽」、新日本舞踊楽団の舞踊劇、吉本軽劇隊と劇団新女苑の合同公演、右楽・左楽らの漫才など。
あきれたぼういず分裂後に「川田義雄とミルクブラザース」を結成した川田は、虎造節をアレンジした川田節を前面に押し出し、「♪地球の上に朝が来る その裏側は夜だろう」というフレーズが大ヒットしていた。
この時の「太平洋に朝が来る」は川田十八番の「地球の上に朝が来る」をもじったものだ。
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【西条昇の演芸史研究】昭和16年の神戸花月劇場のプログラム [吉本]

手元にある、昭和16年8月の神戸花月劇場のプログラム。
表紙は、戦闘機のイラストに、「貯蓄で示せ銃後の力」の惹句。
出演は、「爆笑王国」「吉本軽劇隊」「劇団新女苑」「吉本楽劇団」に、右楽・左楽らの漫才陣。
表紙や「吉本軽劇隊」といったチーム名から、戦時色が強くなっているのが分かる。
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