【西条昇の神楽坂食べ歩き】中華そば 田中屋の8月いっぱいの閉店に大ショック!! [神楽坂]
行きつけだった神楽坂の中華そば 田中屋が何と8月いっぱいで閉店してしまった!
ショック! 大ショック!!
あんなにお客さんが入っていたのに、何でなのか。
もう、あの肉そばの背脂こってりが日常的に食べられないのかと思うと、僕の田中屋ロスは当面続きそうだな。
ショック! 大ショック!!
あんなにお客さんが入っていたのに、何でなのか。
もう、あの肉そばの背脂こってりが日常的に食べられないのかと思うと、僕の田中屋ロスは当面続きそうだな。
【西条昇の飯田橋・神楽坂散歩】牛込見附跡と「牛込神楽坂之図」の碑 [神楽坂]
今日は実家に近い日本歯科大学附属病院に行くため、飯田橋~神楽坂をブラブラしつつ、牛込見附(牛込御門)跡と神楽坂の歌川広重「牛込神楽坂之図」の碑を撮影。
「旧江戸城写真帖」のかつての牛込見附の写真や、天保11年(1840)頃の神楽坂上から牛込御門を臨んだ「牛込神楽坂之図」を見て、江戸の昔に思いを馳せてみたり…。
「旧江戸城写真帖」のかつての牛込見附の写真や、天保11年(1840)頃の神楽坂上から牛込御門を臨んだ「牛込神楽坂之図」を見て、江戸の昔に思いを馳せてみたり…。
【西条昇の神楽坂文学散歩】泉鏡花の愛した軽子坂の料亭「うを徳」 [神楽坂]
神楽坂と並行する軽子坂を登りきったところにある明治初期創業の料亭「うを徳」。
ここは尾崎紅葉や泉鏡花に愛された店として知られ、鏡花の小説「婦系図」に登場する魚屋「めの惣」のモデルは「うを徳」の初代・萩原徳次郎氏だという。
また、鏡花は大正九年三月に「うを徳」の新築開店披露の祝辞を書いている。
ここは尾崎紅葉や泉鏡花に愛された店として知られ、鏡花の小説「婦系図」に登場する魚屋「めの惣」のモデルは「うを徳」の初代・萩原徳次郎氏だという。
また、鏡花は大正九年三月に「うを徳」の新築開店披露の祝辞を書いている。
【西条昇の神楽坂食べ歩き】神楽坂に二つの「五十番」〝肉まん戦争〟勃発か!? [神楽坂]
神楽坂に二つの「五十番」、〝肉まん戦争〟勃発か!?
神楽坂の早稲田通りから本多横丁に入る右角に位置して名物の肉まんを売り物に長く親しまれた五十番だが、数年前に同じ本多横丁への入口右角から左角に「五十番 神楽坂本店」が移転する一方で、首都圏のデパ地下に出店している「神楽坂五○番」とに分裂していたようだ。
つい最近、本多横丁の入口左角の「五十番 神楽坂本店」が大久保通りと早稲田通りの角に移転して開店したと思ったら、移転後に改装中だった本多横丁入口左角の店の跡に何と「神楽坂五○番」が店舗を開店させたのだ!
五十番の後に五十番が開店したから変だなと思っていたら、どうやらそういうことだったらしい。
「五十番 神楽坂本店」の店先の看板には、〈ご注意 本店の肉まんはこちらでしか購入できません〉〈旧店舗は閉店致しました〉という貼り紙が貼られていた。
神楽坂の早稲田通りから本多横丁に入る右角に位置して名物の肉まんを売り物に長く親しまれた五十番だが、数年前に同じ本多横丁への入口右角から左角に「五十番 神楽坂本店」が移転する一方で、首都圏のデパ地下に出店している「神楽坂五○番」とに分裂していたようだ。
つい最近、本多横丁の入口左角の「五十番 神楽坂本店」が大久保通りと早稲田通りの角に移転して開店したと思ったら、移転後に改装中だった本多横丁入口左角の店の跡に何と「神楽坂五○番」が店舗を開店させたのだ!
五十番の後に五十番が開店したから変だなと思っていたら、どうやらそういうことだったらしい。
「五十番 神楽坂本店」の店先の看板には、〈ご注意 本店の肉まんはこちらでしか購入できません〉〈旧店舗は閉店致しました〉という貼り紙が貼られていた。