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【西条昇の浅草コレクション】浅草のお店の数々の名前の載った昭和の千社札

2019-03-12T22:20:51.jpg手元にある、かなり前の浅草のお店が載った千社札(?)。
河金さん、飯田屋さん、埼玉家さん、今半さん、初小川さん、駒形どぜうさん、奥山茶屋さん等々。
ガラス湯や文扇堂さんも。

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【西条昇の浅草歌舞伎史コレクション】猿若町の猿若座の絵本番付

2019-03-12T22:03:03.jpg2019-03-12T22:03:03.jpg手元にある、浅草・猿若町の猿若座の絵本番付。
猿若座は、中村座が一時期、改称していた時の劇場名で、かん三郎座という劇場名だったこともある。
Wikipediaには中村座は「1884年(明治17年)11月、浅草西鳥越町(現在の台東区鳥越1丁目)へ移転し、猿若座と改称された」とあるが、この絵本番付を見る限り、猿若町時代にも猿若座と改称していたことは間違いない。

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【西条昇の吉本演芸史コレクション】戦前の梅田・花月倶楽部のプログラム

2019-03-12T18:05:35.jpg2019-03-12T18:05:35.jpg手元にある、戦前の大阪・北の新地の花月倶楽部のプログラム。
大阪・梅田の花月倶楽部は、吉本が買収する以前から永楽館として、大阪を代表する寄席の一つであった。
京阪神をはじめ、関東にも多くの直営の劇場を持っていた吉本にとって、キタの花月倶楽部、ミナミの南地花月は、勢力拡大の原点とも言うべき大切な小屋として位置づけられていた。
主な出演は、東京から来演の〈粋曲百態〉柳家三亀松、〈講談界の王者〉神田伯龍、〈漫談界の第一人者〉井口静波の他、漫才のエンタツ・エノスケ、雁玉・十郎、落語では二代目・桂春團治ら、漫談の花月亭九里丸など。
〈無敵吉本豪華演芸〉との惹句の通りの豪華メンバーが揃っている。

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【西条昇の浅草ストリップ史コレクション】カジノ座のストリッパーのマリア・マリの死を伝える週刊実話の記事

2019-03-12T15:05:45.jpg2019-03-12T15:05:45.jpg2019-03-12T15:05:45.jpg手元にある、「週刊実話」昭和46年6月21日号での浅草・カジノ座のストリッパーのマリア・マリの死を伝える記事〈〝おもろい夫婦つかの間 〟ストリッパー マリア・マリの死〉。
十数年にわたってカジノ座のスターとして活躍したマリア・マリが亡くなったことを、彼女の来歴も含めて、2ページの記事で伝えている。
〝おもろい夫婦〟とは、この少し前に彼女が同じカジノ座のコメディアンのはな太郎(ここでは、ハナ・太郎)と結婚していたからだ。
マリア・マリは12歳の時に宇佐美レヴュー団に入団して本格的にアクロバットを習い、その後に少女アクロバットとして在籍したサーカスで一緒だった〝Wけんじ〟の東けんじに紹介されて14歳の時にカジノ座に入ったとは、この記事で初めて知った。
カジノ座と同じ中映が経営していた浅草座のコメディアンだった浅草陣太からは、マリア・マリの死はアパートの2階から転落したのが原因と聞かされていた。ここでは、マリと太郎の夫婦がアパートに帰ると鍵がないので、マリが太郎の肩車で2階の部屋に入ろうとしたが、酔っていた太郎がふらついてひっくり返り、マリが逆さまに落ちて頭を強く打ったのが原因と書かれている。
この記事の出た翌月にはカジノ座で「マリア・マリ追悼公演」が行われたとのことだ。

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【西条昇の浅草軽演劇史コレクション】昭和39年の週刊漫画ストーリーに掲載された浅草カジノ座のはな太郎のグラビア特集記事

2019-03-12T03:23:07.jpg2019-03-12T03:23:07.jpg2019-03-12T03:23:07.jpg手元にある、「週刊漫画ストーリー」昭和39年9月13日号の白黒グラビア特集〈下町を笑わせる小さな男 ーー浅草・カジノ座のコメディアン〝太郎ちゃん〟〉。
〝太郎ちゃん〟とは、当時、浅草・カジノ座で幕間コントを演じていた、はな太郎(のちにハナ太郎)のことだ。
記事では、浅草軽演劇出身の八波むと志、渥美清、長戸勇に続いて人気者になるだろうと目されると書かれている。
若い頃の唐十郎がこの当時のカジノ座のミトキンとはな太郎のコントに注目し、何度も文章に書いた。
しかし、これだけ一部の注目を集めながら、はな太郎は記事のような人気者になることはなかった。
この1~2年後に起きるトリオ・コントのブームに、やはり軽演劇出身の三波伸介や東八郎のように乗ることが出来なかったのが大きかったのではないか。
はなは昭和50年代には由利徹を中心とした新宿コマ劇場の喜劇公演に出演することが多く、僕はその頃に何度も観ている。
節劇コント的な場面での浪曲師役で本格的な節回しをチラリと披露したり、村のお地蔵さんに扮して舞台の端でずっと動かずにいたと思ったら急に立ち上がってオチになるギャグを良く覚えている。
この記事の頃のはな太郎をカジノ座で観てみたかったなあ。

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【西条昇のストリップ史コレクション】広島・広栄座「ロカビリーショウ」のパンフ

2019-03-12T01:43:38.jpg2019-03-12T01:43:38.jpg手元にある、広島の広栄座のパンフ。
広栄座は、戦後、広島市中区紙屋町にあった劇場で、広瀬劇団の剣劇をメインにして、ストリップ、喜劇、演芸など盛り沢山のプログラムを売り物に〈演芸のデパート〉を惹句としていた。
このパンフの時は「ロカビリーショウ」と題したストリップ・ショーが上演されており、日劇ウエスタンカーニバルでロカビリー・ブームが起きた昭和33年以降のものであることが分かる。
当時、多くのストリップのチームが全国を回っていたが、広栄座は格的に一流のチームが出演する劇場であった。
他に、浪曲の春日井梅若、漫才(漫談か?)の柳家三亀三、奇術のワンダー昇一が出演。

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