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【西条昇のストリップ史コレクション】昭和27年の新開地・寿座のチラシ

2019-03-25T22:30:14.jpg手元にある、昭和27年8月の新開地・寿座のチラシ。
異種格闘技戦と漫才とエロ軽演劇とストリップショーが一度に観られるプログラム。楽屋とか舞台裏はどんな感じだったんだろう?
日本人対外人 柔道拳闘大試合、特撰万才陣、エロス座「長枕褥合戦」、ヘンリー松原とグループラッキー「あまとりあバアレスク 艶色裸の花道」、ストリップのレスリングと拳闘「スポーツバーレスク 好色バルカン戦争」。
タイトルを書き写してるだけで楽しくなる。

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【西条昇メディア掲載情報】時事通信の連載コラム「浅草文芸散歩」第1回めが徳島新聞に掲載

2019-03-25T22:15:29.jpg時事通信から全国の地方紙に全20回で配信される連載コラム「浅草文芸散歩」の第1回めが本日、徳島新聞に掲載されたことのことで写真を送って頂きました。
他の地方の新聞で、この記事を見かけた方がいらっしゃいましたら、写メを送っていただけたら嬉しいです。

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【西条昇のレヴュー史コレクション】昭和24年の日劇「踊る京マチ子と冗談音楽」公演パンフ

2019-03-25T19:43:57.jpg2019-03-25T19:43:57.jpg手元にある、昭和24年6月の有楽町・日本劇場での「踊る京マチ子と冗談音楽」のパンフ。
昭和11年に大阪松竹少女歌劇団に入団し、娘役スターとして活躍した京マチ子は、昭和23年暮れの日劇のショウ「世界のクリスマス」で七面鳥ブギを踊って注目された後、同24年に大映へ入社。この公演では大映から東宝の舞台への出演という形であった。
翌25年には黒澤明監督の「羅生門」に出演し、世界的にも注目を浴びている。「羅生門」の京マチ子、良かったもんなあ。
一方の冗談音楽は、三木鶏郎を中心に、三木のり平、小野田勇(のちに脚本家に)、河井坊茶、丹下キヨ子というメンバー。
昭和22年にスタートしたNHKのラジオ番組「日曜娯楽版」の「冗談音楽」は全国的な人気を博していた。
三木鶏郎が作詞・作曲した「僕は特急の機関士で」「田舎のバス」、ミツワ石鹸やキリンレモンや明るいナショナルやくしゃみ三回ルル三錠や船橋ヘルスセンターなどのCMソング、「鉄人28号」「トムとジェリー」のテーマ曲は、どれも名曲だね。

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【西条昇のストリップ史コレクション】昭和27年の道頓堀・道劇のパンフ

2019-03-25T19:31:59.jpg2019-03-25T19:31:59.jpg手元にある、昭和27年4月の道頓堀・道劇のパンフ。
〈ストリップは道劇へ〉。
〈東京バアレスクが又々放つ!!奇想天外の桃色ストリップ!!〉〝陽春アベックタイム〟「裸天国」と、〈濃艶無比!!官能昂奮の渦!!妖艶の美女 京町ひとみの浅草女剣戟絶賛堂々続演!!〉エロ女剣戟「春姿情炎双六」。
京町ひとみのエロ女剣戟、観てみたかったな。

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【西条昇の少女歌劇史コレクション】大正11年の宝塚少女歌劇月組公演のパンフ

2019-03-25T09:54:14.jpg手元にある、大正11年9月の宝塚大歌劇場での宝塚少女歌劇の秋期第一回公演(月組生徒出演)のパンフ。
表紙イラストは、完全に少女趣味というか、少女ファンを意識したものになっている。
五本立ての出し物のうちのひとつが、岸田辰彌の作・振付の舞踊劇「ラッサの王女」である。
洋画家の岸田劉生を兄に持ち、帝劇オペラ出身の岸田は、いくつかの歌劇団に参加した後、小林一三に招かれ、大正8年に男子専科生第2期生として宝塚入り。同時に少女歌劇の作・振付を手掛けるようになった。
パリをはじめとする海外視察を経て、日本初のレヴュー「モン・パリ」を発表するのは昭和2年のことだった。

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