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【西条昇のレヴュー史コレクション】昭和9年の宝塚花組のレヴュー「軍艦旗に栄光あれ」マッチラベル [レヴュー]

2018-12-08T21:38:27.jpg手元にある、昭和9年10月の宝塚大劇場での宝塚少女歌劇団花組によるレヴュー「軍艦旗に栄光あれ」のマッチラベル。
〈海軍省軍事普及部提供〉とあり、レヴューにも、そろそろ軍事色の強い演目が増え始める頃だったのだろう。
他に、白井鐵造・作のオペレット・レヴュー「野すみれ」と舞踊劇「猫」も上演。

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【西条昇メディア掲載情報】6日発売の週刊新潮の上沼恵美子の記事にコメント掲載 [メディア]

2018-12-08T21:06:01.jpg2018-12-08T21:06:01.jpg6日に発売された「週刊新潮」12月13日号の〈「上沼恵美子」フジテレビ登場が成功なら東京進出はあるか〉という記事に、私、西条昇のコメントが掲載されています。

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【西条昇の浅草オペラ史コレクション】昭和初期のキャバレー マルタマでの河合澄子一座のチラシ [浅草オペラ]

2018-12-08T19:27:34.jpg手元にある、昭和初期のグランドキャバレー マルタマでの河合澄子一座のチラシ。
〈オペラの妖姫〉〈浅草エロの女王〉との惹句の通り、河合澄子は大正半ばの浅草オペラ時代に日本館での扇情的な個性が注目され、昭和初期のエロ・レヴュー全盛期にも再び活躍。
若き日の川端康成が舞台上の河合の虜となり、永井荷風も河合と交流した時期があり、断腸亭日乗にも何度も名前が出てくる。
このチラシのイラスト・デザイン、好きだな。

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【西条昇の浅草オペラ館コレクション】大正期の浅草オペラ館週報 [浅草六区]

2018-12-08T18:44:42.jpg手元にある、大正期のオペラ館週報。
この時の上演作品は「QUEEN of SHEBA」。
旧約聖書に登場する「シバの女王」を描いたものだ。
大正13年(1924)2月15日発行との記載があり、前に紹介したマキノキネマ傑作映画劇競映週間の1週間前だったことが分かる。

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【西条昇の浅草オペラ史コレクション】大正13年の歌劇雑誌「オペラ」の浅草オペラ館の広告 [浅草六区]

2018-12-08T18:38:52.jpg大正13年(1924)12月発行の歌劇雑誌「オペラ」の12月号・新年号の合併号における浅草・オペラ館の広告。
キャッチコピーは「浅草に聳ゆる歌劇殿堂の権威オペラ館へ」。
この時のオペラ館の経営者は、この歌劇雑誌「オペラ」の発行人・編集人でもある森富太である。
大正13年の2月にはマキノキネマ傑作映画や「QUEEN of SHEBA」を上映していたから、その後、間もなくオペラ館は森富太の手に移り、文字通り「浅草オペラ」を上演する劇場になっていたことになる。
しかし、関東大震災をキッカケに浅草オペラの人気は復活せず、森歌劇団の消滅と共に浅草オペラもその歴史に幕を降ろすことになるのだ。

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【西条昇の浅草オペラ館コレクション】大正期の浅草オペラ館週報 [浅草六区]

2018-12-08T18:04:17.jpg手元にある、大正期の浅草オペラ館のマキノキネマ傑作映画劇競映週間のオペラ館週報。
マキノキネマとは牧野省三監督が設立した映画プロダクションで、この「青春の悲歌」「旅愁」「金色夜叉」の三本立ての時のオペラ館週報は、大正13年(1924)2月22日発行のものだ。
大正期に長く続いた土屋松濤の主任弁士時代も終わり、オペラ館も新しい時代を迎えたが、間もなく浅草オペラ残党による森歌劇団の公演が行われ、劇場名も浅草劇場に変更することになる。

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【西条昇のキャバレー史コレクション】業界専門誌「ショウ イン ジャパン」プシー・キャッツのページ [キャバレー]

2018-12-08T17:49:05.jpg手元にある、全国のキャバレーにフロア・ショーのタレントを宣伝するための業界専門誌「ショウ イン ジャパン」1975年11・12月号のカキザキプロのページ。
タレントは、唄と踊りのプシー・キャッツ。
ポーズや表情も含めて、ビジュアル的に味のある男女ペアだね。
どんな唄、どんな踊りだったのだろう。

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【西条昇のレヴュー史コレクション】昭和8年の宝塚月組の大レヴュー「花詩集」マッチラベル [レヴュー]

2018-12-08T17:36:32.jpg手元にある、昭和8年8月の宝塚大劇場での宝塚少女歌劇団月組による大レヴュー「花詩集」のマッチラベル。
「花詩集」は「パリゼット」と並ぶ白井鐵造の代表作で、宝塚レヴューの路線を決定づけた作品と言える。
平成26年には宝塚歌劇団創立100年を記念して「TAKARAZUKA 花詩集100!!」が上演された。

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【西条昇の浅草食べ歩き】林海象監督と中華300円やへ [浅草グルメ]

2018-12-08T17:22:26.jpg2018-12-08T17:22:26.jpg2018-12-08T17:22:26.jpg2018-12-08T17:22:26.jpg2018-12-08T17:22:26.jpg昨日は、大学の演習実習エンタメコースの特別講義に来て頂いた林海象監督と、帰りにつくばエクスプレスの浅草駅で下車して、旧オペラ館裏の中華300円やで打ち上げを。
前回の300円や飲みに引き続き、レヴュー・チーム「サヴァビアンショー」の田中涼子さんたちと遭遇。

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【西条昇のエンタメ日記】大学の特別講義に林海象監督が [大学]

2018-12-08T17:06:48.jpg2018-12-08T17:06:48.jpg2018-12-08T17:06:48.jpg2018-12-08T17:06:48.jpg2018-12-08T17:06:48.jpg昨日は、大学の演習実習エンタメコースの特別講義に、映画「夢みるように眠りたい」や「私立探偵濱マイク」シリーズの林海象監督にお越し頂き、学生たちの映画企画プレゼン発表への講評アドバイスをして頂きました。

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【西条昇のストリップ史コレクション】昭和26年の浅草ロック座のパンフ [ストリップ]

2018-12-08T11:35:59.jpg手元にある、昭和26(1951)年の浅草ロック座のパンフ。出演のストリッパーはハニー・ロイ、奈良あけみ、脱がない普通ショーの踊り子に栗田照子、柳登世と荷風お気に入りの顔ぶれが揃っている。
現代劇「痴女」とロック・バーレスクショウ「ストリップ・ハリケーン」20景の二本立て。
コメディアンには武智豊子、サトウサブローら。
タイムスリップして観に行きたいな。

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【西条昇のストリップ史コレクション】昭和24年の浅草ロック座のパンフ [ストリップ]

2018-12-08T11:08:12.jpg昭和24(1949)年の浅草ロック座パンフ。出演は数年後にアジャパーが流行語になる伴淳三郎が座長のロック座専属劇団「ショウ東京ロック」、演目は上野の男娼を描いた芝居「男娼の森」。本物の上野のオカマさんを舞台に上げた企画性と主演の伴淳三郎のオカマ演技が当時のマスコミの話題をさらった。この公演に若手俳優として本名で出演されていたコメディアンの浅草陣太さんに当時の話を聞くことが出来た。

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【西条昇のストリップ史コレクション】昭和26年の浅草ロック座公演パンフの傑作題名 [ストリップ]

2018-12-08T11:04:03.jpg昭和26年(1951)年の浅草ロック座パンフの次週広告より、僕がストリップ史上で最も好きな題名を。ロック・バーレスクショウ「マンボとグァテマラ」。
上手いなあ。
マンボというフレーズはその音の響きから「女体マンボ調べ」とか当時のストリップの題名に良く使われたが、そこにグァテマラを持ってきたところが実に偉い。両方、ラテンつながりだしね。

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【西条昇の浅草芸能史コレクション】大正期の浅草オペラ館の演目の絵葉書二枚 [浅草六区]

2018-12-08T10:57:58.jpg2018-12-08T10:57:58.jpg明治42年(1909)に浅草六区で開場したオペラ館の大正期のものと思われる演目の絵葉書を二枚、所有している。
1枚目は、〈オペラ館五月下狂言 新派悲劇いひなつけノ内(一)ねだみ〉とあり、背景からすると活動写真の撮影の際に撮られたもののようだ。当時の所有者の手書きで五月二十九日(土)1915と枠外に記されていて、大正4年のものだということが分かる。
もう1枚は、〈オペラ館十一月下狂言(明烏)奥庭雪責ノ塲(實演)〉とあることと、背景や装置が舞台用であることから、舞台上での実演らしい。
大正期のオペラ館の演目は、土屋松濤を主任弁士とした新派悲劇調の活動写真が中心だったが、時には活動写真と共に小芝居としての実演があったり、連鎖劇のようなものが上演されていたということだろう。

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【西条昇の浅草芸能史コレクション】大正期の浅草オペラ館の日活作品「新野崎村」チラシ [浅草六区]

2018-12-08T10:45:51.jpg土屋松濤が主任弁士をしていた大正期の浅草オペラ館の日活作品「新野崎村」のチラシが手元にある。
後に映画監督となる衣笠貞之助が令嬢役の女形の俳優として名前が載っている。
衣笠貞之助が女形として日活向島撮影所入りしたのが大正6年(1917)のことだから、その数年後のものだろう。

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【西条昇のキャバレー史コレクション】業界専門誌「ショウ イン ジャパン」パラマウントプロモーションズのページ [キャバレー]

2018-12-08T10:39:19.jpg手元にある、全国のキャバレーにフロア・ショーのタレントを宣伝するための業界専門誌「ショウ イン ジャパン」1975年11・12月号のパラマウントプロモーションズのページ。
タレントは、南けんじ、東京ボーイズ、玉川カルテット、玉川福太郎、どんなもん太、ペペ桜井らの演芸陣だ。
東京ボーイズのキャッチフレーズは〈シャンバロージュニア〉になっている。
良く東宝演芸場や末広亭でシャンバローの高座を見たのを思い出すな。

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【西条昇のレヴュー史コレクション】昭和8年の宝塚花組の大レヴュー「世界一周」マッチラベル [レヴュー]

2018-12-08T10:20:24.jpg手元にある、昭和8年(1933)4月の宝塚大劇場での宝塚少女歌劇団花組による歌劇二十周年記念 大レヴュー「世界一周」のマッチラベル。イラストが可愛いね。
歌とダンスと寸劇で繋ぐ世界めぐりは、もともとレヴューの基本形の一つであり、昭和2年の「モン・パリ」もその形で構成されていた。
また、昨年の浅草ロック座のショーのテーマも世界めぐりであったし、ジャニー喜多川さん構成・演出の舞台にも良く世界めぐりの場面が登場する。

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