【西条昇の激辛ラーメン散歩】元祖ニュータンタンメン酒場 川崎東口店でタンタンメンのめちゃ辛を
川崎ロック座で武藤つぐみ&みおり舞のチームショーを観た帰りは、元祖ニュータンタン酒場 川崎東口店で、黒ホッピー飲みつつ、タンタンメンのめちゃ辛にひき肉ダブル、バターをトッピングで。
他に、餃子と油淋鶏も。
他に、餃子と油淋鶏も。
【西条昇のストリップ研究】川崎ロック座で武藤つぐみ&みおり舞のチームショーを
【西条昇のキャバレー史コレクション】業界専門誌「ショウ イン ジャパン」アクロバットダンサーのページ
手元にある、全国のキャバレーにフロア・ショーのタレントを宣伝するための業界専門誌「ショウ イン ジャパン」1975年11・12月号のパシフィックインターナショナルプロモーションのページ。
タレントはアクロバットソロダンサーの葉山仁智子だ。
今はこうした軟体系アクロバットをコントーションと言うそうだが、昭和のキャバレーのフロアショーにはアダジオのペアと同様に多くのアクロバットダンサーたちが出演していた。
戦前の日本には岡本八重子・文子というアクロバットダンサー姉妹が居り、昭和20年代のストリップ初期にはR・テンプルというアクロバット・ヌードのスターが居た。
日本のアクロバットダンサーの歴史を調べてみるのも面白そうだな。
タレントはアクロバットソロダンサーの葉山仁智子だ。
今はこうした軟体系アクロバットをコントーションと言うそうだが、昭和のキャバレーのフロアショーにはアダジオのペアと同様に多くのアクロバットダンサーたちが出演していた。
戦前の日本には岡本八重子・文子というアクロバットダンサー姉妹が居り、昭和20年代のストリップ初期にはR・テンプルというアクロバット・ヌードのスターが居た。
日本のアクロバットダンサーの歴史を調べてみるのも面白そうだな。
【西条昇のキャバレー史コレクション】業界専門誌「ショウ イン ジャパン」遠山プロダクションのページ
【西条昇の浅草レヴュー史コレクション】昭和7年のオペラ館「ヤパン・モカル」公演パンフ
【西条昇の浅草レヴュー史コレクション】昭和7年のオペラ館「ヤパン・モカル」公演パンフ
エノケン、二村定一らの「ピエル・ブリヤント」を松竹に引き抜かれた浅草オペラ館が、玉木座「プペ・ダンサント」から役者や文芸部を引き抜いて昭和7年に旗揚げしたレヴュー劇団「ヤパン・モカル」のプログラムNo.2が手元にある。
役者陣に、柳田貞一、サトウ・ロクロー、大石信夫、佐藤久雄、堀井英一、高清子ら。
昭和11年に「ヤパン・モカル」の座長になるシミキンこと清水金一も、師匠の柳田貞一と共に参加していた。
文芸部に、サトウハチロー、菊田一夫、山下三郎ら。
劇団名「ヤパン・モカル」の名付け親はサトウハチローで、「ジャパン儲かる」の意味だとか。
また、菊田一夫の遅筆癖はこの当時からのものだったようで、プログラムに小さく「予告しました私の脚本が今週は都合で出ませんでした。申しわけ御ざいません。来週は予告通りで御ざいます。(略)菊田 生」と記載されているのが面白い。
役者陣に、柳田貞一、サトウ・ロクロー、大石信夫、佐藤久雄、堀井英一、高清子ら。
昭和11年に「ヤパン・モカル」の座長になるシミキンこと清水金一も、師匠の柳田貞一と共に参加していた。
文芸部に、サトウハチロー、菊田一夫、山下三郎ら。
劇団名「ヤパン・モカル」の名付け親はサトウハチローで、「ジャパン儲かる」の意味だとか。
また、菊田一夫の遅筆癖はこの当時からのものだったようで、プログラムに小さく「予告しました私の脚本が今週は都合で出ませんでした。申しわけ御ざいません。来週は予告通りで御ざいます。(略)菊田 生」と記載されているのが面白い。