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【西条昇のストリップ史コレクション】昭和23年の浅草ロック座の公演パンフ

2018-12-14T21:11:21.jpg手元にある、昭和23(1948)年3月の浅草ロック座のパンフ。
出演はメリー松原とハイライトショウ「ヴイナスの誘惑」と、コメディアン泉和助が座長の劇団オアシスなど。
荷風が戦後初めて浅草六区を訪れたのが昭和23年2月末のこと。ロック座ではメリー松原とハイライトショウ、常盤座ではヘレン瀧のデカメロンショウ、大都劇場では朱里みさをとパルナスショウの裸ショウ三座競演。丁度、日本ストリップ史の幕開けを目撃したことになる。荷風先生も鼻が利くね。

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【西条昇のキャバレー史コレクション】業界専門誌「ショウ イン ジャパン」檜和プロダクションのページ

2018-12-14T20:21:10.jpg手元にある、全国のキャバレーにフロア・ショーのタレントを宣伝するための業界専門誌「ショウ イン ジャパン」1975年11・12月号の檜和プロダクションのページ。
ここのタレントは全て台湾人女性である。
当時のフロアショーでは台湾やフィリピンのタレントの需要も高かったのだ。

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【西条昇のレヴュー史コレクション】昭和10年の日劇でのパンテージ・ショウの公演パンフ

2018-12-14T19:22:53.jpg2018-12-14T19:22:53.jpg手元にある、1935(昭和10)年2月の日本劇場での「パンテージ・ショウ」の公演プログラム。
パンテージ・ショウとはアメリカから来日したレヴューやボードビルを主体としたショー・チームであり、前年の「マーカス・ショウ」の日劇公演の成功以来、アメリカからのショー・チーム一行の来日公演が続いていたのだ。

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【西条昇のレヴュー史コレクション】昭和9年の日劇でのマーカス・ショウの公演パンフ

2018-12-14T17:32:17.jpg2018-12-14T17:32:17.jpg2018-12-14T17:32:17.jpg手元にある、昭和9年(1934)3月の日劇での「マーカス・ショウ」の公演プログラム。
当時の吉本興行部の林弘高の招聘・プロデュースによりアメリカから来日したマーカス・ショウ一行の中には、のちに世界的喜劇俳優となる若き日のダニー・ケイも在籍しており、プログラムにはその写真と名前も載っている。
写真を見ると、ダニー・ケイは、橋達也と笑いの園の人間人力車のネタみたいなことをしていたのが分かる。

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【西条昇のレヴュー史コレクション】昭和9年の日劇でのマーカス・ショウの公演パンフ

2018-12-14T12:02:22.jpg2018-12-14T12:02:22.jpg手元にある、昭和9年(1934)3月の日劇での「マーカス・ショウ」の公演プログラム。
マーカス・ショウは当時の吉本興行部の吉本せいや林正之助の弟の林弘高の招聘・プロデュースにより来日したアメリカのショー・チームで、のちに世界的喜劇俳優となる若き日のダニー・ケイも座員の一人として出演していた。
マーカス・ショウにはトップレスでの金粉ショウの場面もあったと言われ、当時の日本のレヴュー・ショーの関係者に大きな衝撃と影響を与えている。

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【西条昇のキャバレー史コレクション】業界専門誌「ショウ イン ジャパン」神宮ダンシングオフィスのページ

2018-12-14T10:42:13.jpg手元にある、全国のキャバレーにフロア・ショーのタレントを宣伝するための業界専門誌「ショウ イン ジャパン」1975年11・12月号の神宮ダンシングオフィスのページ。
〈今宵も豪華で華麗なパッケージショウをお約束いたします〉というコピーと写真から、レヴュー・ショーのような華やかな雰囲気が伝わってくる。

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