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【西条昇のストリップ史コレクション】昭和27年のストリップ業界新聞「ばあれすく」 [エンタメ]

昭和27年の「ばあれすく(Burlesque)」第10号。
当時の東京にあったストリップ劇場の代表者たちが集まって発行していたストリップ業界新聞である。
その頃の日本ではストリップとバーレスクは、ほぼ同義語として使われていた。
表紙には伊吹まりとヌード芸術宣言が。
当時東宝社長の小林一三の「丸の内からハダカを追放せよ!」との一言から日劇小劇場を閉館させて日劇ミュージックホールをハダカ抜きで開場させたものの不入りが続き、東宝はヌード再登場を決めた。この時、丸尾長顕の仕掛けにより、メリー松原、ヒロセ元美、伊吹まりが揃って「ストリップ廃業宣言」「ヌード芸術宣言」を行ったのだ。
以来、日劇ミュージックホールはストリップ・ティーズではないヌード・レヴュー路線を徹底していく。
バーレスクという括りだと、従来のストリップとヌード・レヴューの両方を含めることができたのだろう。
表紙の右下には浅草カジノ座の開場を知らせる広告がある。「モロッコの匂いとパリーのエロスで充満した世界最高のヌードのメッカ東京に誕生!」とのコピーが最高だね。
中映経営の浅草の劇場が、浅草座(A)、美人座(B)、カジノ座(C)の3つになり、「ABCチェーン完成!」とのこと。
「バタフライにも流行がある」「入浴シーンいろいろ集」など中の記事も充実している。
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【西条昇のストリップ史コレクション】昭和30年代の太陽劇場での東京花電車ショウと性典映画のチラシ [ストリップ]

昭和30年代の飾磨・太陽劇場での東京花電車ショウと性典映画のチラシ。
曰く「見よ恐ろしき演技!奥座敷の秘術愈々公開!」。
司会・佐山純とあるのは、のちの佐山淳さんのことで、この時は太夫元(プロデューサー)も兼務していたのではないか。
昭和40年代には葵浮世絵おいらんショウを主宰する一方で、ストリップ業界新聞「芸報ジャーナル」を発行したり、昭和50年代には浅草フランス座の支配人を務めたりしたかたである。浅草駒太夫さんのご主人としても知られたが、ご本人は終始〈ヒモ〉を自称されていた。
花電車とは…、ご存じないかたは、ぜひ各自でググってみてくださいね。
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【西条昇の浅草エンタメ日記】浅草ロック座「シャングリラ」 [エンタメ]

昨日は「Shangri-La 2nd season」を観に浅草ロック座へ。
ストリップ劇場では最も大手で老舗であるロック座は現在、一つの演目を40日間づつ公演しており、前半20日間と後半20日間では1〜2名を除いて出演する踊り子が入れ替わるようになっている。
昨日観たバージョンも、今月始めに観たバージョンとは、同じ振付けと演出のまま、白石美咲を除いた6名が新しい顔ぶれになっていた。
同じ振付けと演出で人が入れ替わると、逆にその踊り子さんの力量や個性の違いが浮かび上がるもので、落語や歌舞伎の演目を違う人で観て比べてみるのと同じような楽しみ方が出来る。こうした公演の仕方を行っているのはロック座だけで、他の劇場では、それぞれの踊り子さん個人の持ちネタ的に演じ慣れた出し物を順番に見せていく構成になっている。
体操で言えば規定演技と自由演技の違いみたいなものか。
また、ロック座では自分がメインの景の振付けはもちろん、オープニングやエンディングや他の踊り子さんがメインの景でバックで踊る時の振付けも覚えねばならず、事前の稽古期間があるようだ。
中休憩を挟んで1時間40分のショーの中で自分の景の他にも何度も登場し、それを1日5回公演というのだから相当にハードだろう。
しかし、ステージに上がれば舞台裏のハードさを全く感じさせずに艶然とした笑みを絶やさない彼女たちの虜となるファンが多いのも納得だ。
9月5日から始まる次回公演「La LUNA(ラルーナ)」も楽しみだな。
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【西条昇の演芸コレクション】昭和18年の第一劇場での東京吉本楽劇隊の公演パンフレット [エンタメ]

昭和18年4月の第一劇場での東京吉本楽劇隊の公演パンフレット。
戦時色が強まって敵性言語が禁止されはじめ、かつて中川三郎のタップダンスや「あきれたぼういず」を売り物に洒落たショーを繰り広げていた「吉本ショウ」も「吉本楽劇隊」と改名させられていた。
ゲスト歌手の三根耕一、稻田文子も改名前は、ディック・ミネ、べティ稻田であった。
表紙には演芸の吉本らしからぬ「空を護れ」というスローガンが。
曰く「想起せよ! 昨年の四月十八日 今年もまた小癪な米機はわが本土を狙っていることを忘れてはならぬ」。
吉本楽劇隊のメンバーには、浅草オペラ出身の町田金嶺、ロッパ一座にいた須田村桃太郎、歌手のややま良一、ミルクブラザースにいた有木三太など。
踊り子の伊吹まり子、池上好江は、戦後に伊吹まり、ミス池上と改名し、人気ストリッパーとして活躍した。
また、文芸部の深井俊彦、振付部の村田凡二郎も、戦後はストリップの世界で作・演出や振付けを手掛け、長く活躍している。
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【西条昇の浅草エンタメ日記】浅草・木馬亭での木馬亭夏祭り「浪曲ミュージカル昭和浅草パラダイス」 [エンタメ]

昨日は浅草・木馬亭での木馬亭夏祭りを観に出かけた。
木馬亭で毎月定期公演を行っている日本浪曲協会と浅草21世紀との年に一度の合同公演である。
第一部は演芸バラエティーで、東家浦太郎(浪曲)、フリーパー(コント)、おののこみち(歌)、スギタヒロシ(一人コント)、イエス玉川(漫談)、松鶴家千とせ(漫談)が出演。
とりわけ、イエスさんの辛辣なシニカル・ジョークが冴えわたっていた。
第二部は浪曲ミュージカル「昭和 浅草パラダイス」(台本・演出 稲田和浩)。
地方から浅草にやってきた少女が大道芸人や劇場の呼び込みや役者と出会う設定の中で、浅草の歴史が紹介され、大衆演劇、レヴュー、映画、落語、浪曲など浅草の芸能を見せていく構成になっていた。
この地方から浅草にやってきた少女を演じたのが、18歳の女流浪曲師の国本はる乃で、柄にピタリとハマった役をナチュラルに好演。
通常の節劇だと浪曲師は一人だが、進行役の東家一太郎と少女役の国本はる乃と番場の忠太郎役の玉川太福の三人が交互に節を担当する趣向が新鮮で面白かった。
浅草21世紀勢では、かつて坂上二郎と一緒に浅草フランス座の舞台に立っていた軽演劇の大ベテランの真木淳が、力の抜けたフラのある味わいで笑わせる。
ジュリエット役や宇宙の悪の女王役での合田ケイ子の集中度の高いハイテンション演技や、しのはら実加の天然不思議ちゃんぶりなど女優陣も個性を発揮していた。
故・関敬六の弟子の関遊六は、サービス精神でグイグイ押した師匠の芸風とは一味違う飄々としたフラのあるボケで笑わせるタイプと言える。
節劇と言えば、かつて玉川良一、芦屋雁之助、はな太郎といった人たちが浪曲を担当した節劇コントを観たことを懐かしく思い出した。
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【西条昇の演芸コレクション】昭和16年3月の名古屋・赤門花月劇場のパンフレット [エンタメ]

昭和16年3月の名古屋・赤門花月劇場のパンフレット。
看板はシャミセンオーケスタで、「ミュージック・アルバム」唄と笑と音楽絢爛の十曲。指揮・清川澄子。
表紙の写真では、女性ばかり、三味線6人、アコーディオン2人、ギター1人、ウッドベース1人という編成だが、パンフレットで各景の詳細を見ると、このメンバーでサックス、クラリネット、トランペット、ドラム、太鼓などでも演奏したようだ。華やかだったろうな。
当時の吉本は、名古屋に赤門花月劇場、名古屋劇場、花月ニュース劇場という3つの直営劇場を持っていた。
赤門花月劇場と名古屋劇場は映画と実演、花月ニュース劇場はニュースと文化映画が中心だったとのことだ。
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【西条昇のストリップ史コレクション】昭和23年の帝都座ショウ・ピクトリカルでの名画アルバム特集号 [エンタメ]

昭和23年の帝都座ショウ・ピクトリカルの名画アルバム特集号。
新宿・帝都座ショウと言えば、昭和22年1月に上演された額縁ショウがあまりにも有名である。
額縁ショウとは、舞台に設えた額縁の中で上半身裸の女性が名画を模したポーズをとるもので、1時間前後のレヴュー・ショーの中の数十秒の景に過ぎなかったが、これが戦後間もない時期にウケにウケ、観客が詰めかけた。
仕掛け人の秦豊吉は、戦前に日劇ダンシングチームを立ち上げて育て、東京宝塚劇場での東宝国民劇を手掛けたりしたが、戦後に公職追放となり、別の筆名・丸木砂土を用いつつ帝都座ショウを手掛けた。
秦は第一次世界大戦後のドイツに居たこともあって、敗戦国では裸ショウが流行ることを身をもって知っており、海外のレヴューで演じられていた名画アルバムのパターンをいち早く取り入れたのだ。
作家の色川武大は、額縁ショウ以外の部分も含めて、帝都座ショウが数多く観たショーの中でもベストだった旨を書き記している。
この帝都座ショウ・ピクトリカルを見ると、当時の額縁ショウの雰囲気が伝わってくる。
よく〈ストリップの元祖〉といった言い方をされるが、額縁ショウには「ストリップ・ティーズ」=焦らしながら脱ぐという要素がなく、ニュアンスが異なる。
日本で初めて「ストリップ・ショウ」と名付けたのは正邦乙彦で、昭和23年春の浅草・常盤座でヘレン瀧らによって上演された。
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【西条昇の浅草見世物コレクション】浅草・奥山での清の大巨人を見せる興行の引き札 [エンタメ]

江戸後期〜明治初期に浅草・奥山での身の丈九尺の巨人を見せる興行の引き札。
詳細は不明だが、中央の大男や手前の子ども(?)の服装からして、出演者は当時の清から来た人たちだったようだ。
大きな手形が描かれており、この大男が興行の売り物だったことが分かる。
九尺と言えば、約273㎝になるから、いくらなんでも、かなり「盛った」数字だったに違いない。
日本では、大男を相撲の興行の中に取り込んで見せる伝統があり、明石、生月、大空、釈迦ヶ嶽などの巨人力士がいたが、この清の大男は興行の中でどんなことをしたのだろう。
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【西条昇の浅草グルメ日記】浅草・旧オペラ館裏の翁そば「冷や台」と荷風「断腸亭日乗」 [浅草グルメ]

浅草・木馬亭でイッツフォーリーズ「唄のある風景〜劇中劇『カフェーの夜』」を観た後、旧オペラ館裏の翁そばに寄り、カレー南蛮そばの「冷や台」650円を。
冷やして引き締まった平打ちの蕎麦にカレーの餡がかかっている。
先代・林家三平師匠もこの冷や台がお気に入りだったとか。蕎麦とカレーのルーが別の器に入って出てくる「ルー別」もある。
ここは、くじら屋「捕鯨船」の大将の河野通夫さんに連れてきていただいたこともあったっけ。
創業大正3年ということで、永井荷風の「断腸亭日常」を見直してみると、昭和13年7月15日の項に「六区オペラ館楽屋裏」と題して荷風自身がオペラ館裏の界隈がどうなっているかを調査した地図が描かれており、現在と変わらぬ位置に「翁そば」と記されていた。
目と鼻の先に楽屋口がある。
シミキンこと清水金一や堺駿二、佐山俊二といったオペラ館に出ていた役者たちは、翁そばで腹ごしらえをして舞台に立っていたのだろう。
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【西条昇の浅草エンタメ日記】浅草・木馬亭でのイッツフォーリーズ「唄のある風景」劇中劇「カフェーの夜」 [エンタメ]

作曲家の故・いずみたくによって1977年に作られたミュージカル劇団「イッツフォーリーズ」が、作曲家・佐々紅華が大正6年に日本で初めてミュージカルと銘打って浅草で上演した「カフェーの夜」を劇中劇で演じるということで、浅草・木馬亭「唄のある風景」に足を運んだ。
佐々紅華は昭和初期に「君恋し」「浪花小唄」「神田小唄」の作曲を手掛けたほか、大正中期の浅草オペラにも多くの作品を提供している。
共にヒットメイカーでありつつミュージカルを志向していたという二人の作曲家が時空を超えてコラボしたとも言えるだろう。
舞台は、エレピの置かれた小さな喫茶店に、壁にぶち当たった若い作曲家が訪れるところから始まる。
作曲家がエレピで様々な時代のヒット曲を弾くうちに、女店主のいる喫茶店ごと時間旅行をしていくという設定。
その流れで、大正まで遡り、「カフェーの夜」になる。
「カフェーの夜」は、日比谷公園の松本楼を訪れる当時の人々の人間模様や風俗をスケッチ風に描いたもので、佐々の作詞・作曲による「洋食の歌」「喧嘩の歌」「おてくさんの歌」「飲ん兵衛の歌」はコミカルで軽い楽しさがあり、確かにオペラというよりミュージカルのニュアンスに近いように思う。
俳優たちは、佐々の手による時代がかった台詞を嫌みなくテンポよく、こなしていた。
時間旅行をする喫茶店に美空ひばりや笠置シヅ子が訪ねてきたりする展開にやや強引さは感じたが、歌の中での客席通路を多用した俳優たちの動かし方が上手かったな。
「雲の上団五郎一座」が劇中劇を見せるために作られた喜劇であるのと同様、「唄のある風景」も劇中劇「カフェーの夜」を如何に見せるかということから作られたのだろう。
カーテンコールでは、「見上げてごらん夜の星を」「世界は二人のために」「手の平を太陽に」などのいずみたくメドレーも。
今日24日まで上演されている。
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