【西条昇の浅草演芸史コレクション】昭和42年頃のコント55号が出演の浅草松竹演芸場プログラム [お笑い]
手元にある、コント55号(萩本欽一、坂上二郎)が出演の昭和42年(1967)頃の浅草松竹演芸場の7月公演プログラム。
コント55号は〝コント 5・5・号〟の表記で、〈世の若者海でも山でもゴーゴー踊りに浮かれてる。ゴーゴーは溢れるエネルギーのはけどころ。僕ら萩本欽一と坂上二郎の張切りコンビが舞台一ぱいにコントのゴーゴーでハネまわり皆様のお腹の底からお笑いをふりしぼります。〉との紹介文が掲載されている。
デン助劇団の芝居には、現在のくじら屋の捕鯨舩の大将の河野通夫さんが魚屋の店員 徳松役で出演。
コント55号は〝コント 5・5・号〟の表記で、〈世の若者海でも山でもゴーゴー踊りに浮かれてる。ゴーゴーは溢れるエネルギーのはけどころ。僕ら萩本欽一と坂上二郎の張切りコンビが舞台一ぱいにコントのゴーゴーでハネまわり皆様のお腹の底からお笑いをふりしぼります。〉との紹介文が掲載されている。
デン助劇団の芝居には、現在のくじら屋の捕鯨舩の大将の河野通夫さんが魚屋の店員 徳松役で出演。
【西条昇の昭和史研究】昭和ではなく光文になっていた可能性 [昭和]
大正天皇が崩御された直後の東京日々新聞の号外と朝刊では、新しい元号は「光文」に決定と報じられた。
都新聞、読売新聞、報知新聞も「光文」と報道。
しかし、その後、宮内庁が新元号は「昭和」と発表し、誤報の責任を取って東京日々新聞の編集局主幹が辞任している。
結果的に「昭和」で良かったけどね。
今頃、〈昭和レトロ〉〈昭和歌謡〉ではなく〈光文レトロ〉〈光文歌謡〉とか言っていた可能性も?
都新聞、読売新聞、報知新聞も「光文」と報道。
しかし、その後、宮内庁が新元号は「昭和」と発表し、誤報の責任を取って東京日々新聞の編集局主幹が辞任している。
結果的に「昭和」で良かったけどね。
今頃、〈昭和レトロ〉〈昭和歌謡〉ではなく〈光文レトロ〉〈光文歌謡〉とか言っていた可能性も?
【西条昇の浅草エンタメ散歩】十二階こと凌雲閣の跡地へ [浅草六区]
ホッピー通りの正ちゃんを出て、歩いて山谷方面へ。
途中、浅草〈凌雲閣〉跡地の前を通っていく。
今年2月の工事中に十二階こと凌雲閣のレンガ造基礎が発見されたのを記念して、そこに立てられたビルの壁面に十二階の絵図を拡大して表示し、その下に発掘されたレンガが展示されている。
台東区教育委員会の協力で凌雲閣基礎遺構図を含めた解説プレートが表示されているのも良いことだね。
途中、浅草〈凌雲閣〉跡地の前を通っていく。
今年2月の工事中に十二階こと凌雲閣のレンガ造基礎が発見されたのを記念して、そこに立てられたビルの壁面に十二階の絵図を拡大して表示し、その下に発掘されたレンガが展示されている。
台東区教育委員会の協力で凌雲閣基礎遺構図を含めた解説プレートが表示されているのも良いことだね。