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【西条昇のレヴュー史コレクション】昭和14年の日劇での吉本ショウのステージ写真 [吉本]

手元にある、昭和14年(1939)8月の日劇での吉本ショウ「歌ふ豪華船」のステージ写真。
吉本興業は昭和9年3月にアメリカから招聘したマーカス・ショウの日劇公演を実現させて話題を呼んだが、昭和10年11月に浅草に東京花月劇場を開場してスタートさせた吉本ショウにも日劇公演をさせていたのだ。
ちなみに、この年の春に新興キネマ演芸部に引き抜かれた「あきれたぼういず」の三人(坊屋三郎、益田喜頓、芝利英)は出演していない。20181018_124930.jpg20181018_124935.jpg
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【西条昇のドリフターズ史研究】坂本九や井上ひろし在籍時のドリフターズの写真 [お笑い]

昭和33年(1958)頃の「井上ひろしとドリフターズ」の写真。
ギターの岸部清は前身の「サンズ・オブ・ドリフターズ」からのリーダーで、その頃は山下敬二郎も在籍。
岸部は脱退後にマネージャーに転身し、のちに第一プロダクションの社長となる。
ボーカルの井上ひろしは、水原弘、守屋浩と共に〈ロカビリー三人ひろし〉と言われ、ソロ歌手に転じて「雨に咲く花」がヒット。
同じくボーカルの坂本九は「ダニー飯田とパラダイスキング」に移籍してスターの仲間入りを果たしている。
ボーカルの桜井輝夫は岸部の脱退後もドリフターズに残ってリーダーとなり、その時代に、いかりや長介と加藤茶が加入。
やがて、いかりやと衝突した小野ヤスシ、ジャイアント吉田らが脱退して「ドンキーカルテット」を結成。
残ったいかりやと加藤に、荒井注、仲本工事、高木ブーが加わり、桜井はオーナー的な立場を経て身を引いたことで、いかりやをリーダーとしたドリフターズがスタートした。
〈ドリフに歴史あり〉だね。20181018_101108.jpg
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