【西条昇の思い出の写真】「男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日」出演時の渥美清さんとの写真


右がご存じ寅さんに扮した渥美清さん、左がお祭りの若い衆に扮した当時24歳の僕である。
撮影の合間に渥美さんは僕のことを「兄さん」と呼んで、寅さんそのままの口調で気さくに話しかけて下さった。
寅さんとポンシュウ(関敬六さん)がスポーツシューズの啖呵売をしていると、試しに履いてみることを勧められた笹野高史さんがそのまま走って逃げてしまい、祭りの法被を着た若い衆の僕と出川哲朗くんが走って追いかけるが逃げられてしまう場面だったが、この時、僕らは小諸市の旅館に数日間滞在し、出川くんと二人で同室で過ごしたものだ。
【西条昇の浅草お笑い日記】「ビッグボーイズのゆかいな仲間たち」打ち上げでこぼんさんたちと
【西条昇の浅草お笑い日記】東洋館での「ビッグボーイズとゆかいな仲間たち」へ
【西条昇講座情報】6/15(木)緑と水の市民カレッジ「浅草公園が日本一の興行街になった理由」を開催


今から150年前の明治6(1873)年、浅草寺周辺は浅草公園として、上野公園、芝公園、飛鳥山公園、深川公園と共に東京府より国内で最初の公園に正式指定されました。浅草公園が昭和22(1947)年に公園地の指定を解除されるまで、日本一の興行街として独自の発展を遂げたのは何故なのか。東京都公園協会発行専門誌「都市公園」238号(2023年3月号)の特集[都市公園制度制定150周年]に西条昇が寄稿した「浅草公園 その成り立ちと歴史 ~何故、浅草六区は日本一の興行街となったのか」の内容をベースに豊富な浅草芸能資料を駆使しながら解説していきます。
この機会に、ぜひ、浅草の歴史に触れてみませんか?
緑と水の市民カレッジのHPからのインターネット申込みの他、電話・FAXでの申込みも受けております。
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【R5前期】No.14 都立公園150周年記念事業② 浅草公園が日本一の興行街になった理由|公園へ行こう! https://www.tokyo-park.or.jp/college/2023/03/r5no14-150-1.html
【西条昇メディア掲載情報】4/11(火)毎日新聞夕刊の女性アイドルのセカンドキャリアについての記事にコメント掲載


特集ワイド:女性たちの背を押したい 元「AKB48」板野友美さんのセカンドキャリア | 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20230411/dde/012/200/004000c
【西条昇メディア掲載情報】月刊「浅草」4月号に西条昇と西条ゼミ生3名のインタビュー記事が掲載
【西条昇のドリフターズ史研究】1960年の「ミュージックライフ」でのドリフターズの紹介記事


前年11月に歌謡曲路線に転じた井上ひろしが脱退。一部メンバーも井上率いるバンド「ファイブ・サンズ」に移籍してしまい、残った桜井輝夫を中心にコミック要素を取り入れたロカビリー・バンドとして再出発した頃のもので、のちの五人ドリフ時代のメンバーはまだ一人もいない。
桜井輝夫(リーダー・唄)、高橋一(唄、のちのルイ高橋)、高松秀晴(唄)、小野ヤスシ(唄)、青木次男(スチール、のちのポン青木)、宮本次郎(ギター、のちに「宮本二郎とスクラップ・サウンズ」のリーダーに)、藤井満男(ヴァイブ)、小山威(ドラム)、米林貞夫(ベース)。
【西条昇メディア掲載情報】J-CASTニュースの坂本龍一さんとお笑いについての記事にコメント掲載
本日4/8(土)J-CASTニュースで配信された記事〈YMOでトリオ漫才、ダウンタウンとの強烈コント... 坂本龍一さんがお笑い界で残した「爪痕」〉に、先日亡くなられた坂本龍一さんとお笑いとの関わりについての私、西条昇によるコメントが掲載されました。
YMOでトリオ漫才、ダウンタウンとの強烈コント... 坂本龍一さんがお笑い界で残した「爪痕」: J-CAST ニュース https://www.j-cast.com/2023/04/08459461.html
YMOでトリオ漫才、ダウンタウンとの強烈コント... 坂本龍一さんがお笑い界で残した「爪痕」: J-CAST ニュース https://www.j-cast.com/2023/04/08459461.html
【西条昇メディア掲載情報】本日の東京新聞朝刊に連載「芸人 今昔ものがたり」加藤茶編1回めが掲載

<芸人 今昔ものがたり 西条昇>加藤茶編(1) チャップリン風の髭で笑い:東京新聞 TOKYO Web https://www.tokyo-np.co.jp/article/242200