【西条昇の浅草芸能史コレクション】国際劇場での阪東妻三郎の実演のパンフ [浅草六区]
手元にある、昭和20年代半ばの浅草・国際劇場での阪東妻三郎の実演「素浪人薩摩歌」のパンフ。
表紙のバンツマのイラストに、やはり、息子である田村高廣、正和、亮という田村三兄弟と共通する面影が感じられる。
表紙のバンツマのイラストに、やはり、息子である田村高廣、正和、亮という田村三兄弟と共通する面影が感じられる。
【西条昇の浅草芸能史コレクション】昭和30年の国際劇場での「第1回 グランド・ジャズ・バラエティ 歌いまくる江利チエミ」のパンフ [浅草六区]
【西条昇の浅草芸能史コレクション】明治28年の大盛館での「日清戦争 実見録生人形」の引き札 [浅草六区]
【西条昇の浅草芸能史コレクション】明治27年の開運館での「日清戦争 大活人形」の引き札 [浅草六区]
手元にある、明治27年に浅草・開運館で興行された「日清戦争 大活人形」の引き札。
「活人形」(いきにんぎょう)は「生人形」とも表記され、等身大の人間の細工物を展示する形式により、江戸後期から明治にかけて浅草をはじめとする都市部で多く興行が行われていた。
この時は同年7月に勃発した日清戦争をテーマにしたものだ。
活人形やパノラマの興行では戦争物を取り上げたものが多く、当時の人々の興味を誘っていたようだ。
テレビのない時代、題材が戦争物の時は戦地のど真ん中に行ける感覚、歌舞伎物なら実際に歌舞伎を観る機会の少ない人でも目の前で観られる感覚、異形物ならお化け屋敷感覚が味わえるアトラクションだったのだろう。
「活人形」(いきにんぎょう)は「生人形」とも表記され、等身大の人間の細工物を展示する形式により、江戸後期から明治にかけて浅草をはじめとする都市部で多く興行が行われていた。
この時は同年7月に勃発した日清戦争をテーマにしたものだ。
活人形やパノラマの興行では戦争物を取り上げたものが多く、当時の人々の興味を誘っていたようだ。
テレビのない時代、題材が戦争物の時は戦地のど真ん中に行ける感覚、歌舞伎物なら実際に歌舞伎を観る機会の少ない人でも目の前で観られる感覚、異形物ならお化け屋敷感覚が味わえるアトラクションだったのだろう。
【西条昇の浅草エンタメ日記】浅草ビューホテルでのパーティーで世志凡太さんと [浅草六区]
【西条昇の浅草芸能史研究】国際劇場の思い出 [浅草六区]
東宝の日劇と松竹の国際劇場は、共に戦後の東京を代表する大劇場であり、行われる公演にも共通性があった。
日劇には日劇ダンシングチーム、国際劇場には松竹歌劇団があり、それぞれ「春のおどり」「夏のおどり」「秋のおどり」と題する公演を上演していたほか、時期をずらして両方の劇場での公演を行う歌手も少くなかった。
日劇の階上に日劇ミュージックホールがあったのに対し、国際劇場の階上にも一時期、国際セントラル劇場というバーレスクの劇場があった。
僕は小学生時代から父親に連れられて、小月冴子がトップの頃の松竹歌劇団を良く国際劇場で観たし、ドリフターズやビューティーペアや小柳ルミ子などもここで観ている。
僕の中学の時の先生が国際劇場裏にお住まいで、中学時代は日曜に国際劇場のステージを観た後で先生にご挨拶してから帰ることも多かったな。
日劇には日劇ダンシングチーム、国際劇場には松竹歌劇団があり、それぞれ「春のおどり」「夏のおどり」「秋のおどり」と題する公演を上演していたほか、時期をずらして両方の劇場での公演を行う歌手も少くなかった。
日劇の階上に日劇ミュージックホールがあったのに対し、国際劇場の階上にも一時期、国際セントラル劇場というバーレスクの劇場があった。
僕は小学生時代から父親に連れられて、小月冴子がトップの頃の松竹歌劇団を良く国際劇場で観たし、ドリフターズやビューティーペアや小柳ルミ子などもここで観ている。
僕の中学の時の先生が国際劇場裏にお住まいで、中学時代は日曜に国際劇場のステージを観た後で先生にご挨拶してから帰ることも多かったな。
【西条昇メディア掲載情報】慶應塾生新聞からインタビュー取材を [浅草六区]
今日は、慶應塾生新聞から、浅草と演芸の関わりの歴史について取材を受けました。
慶應塾生新聞の取材を受けるのは約20年ぶりです。
詳しくは、追ってまた。
慶應塾生新聞の取材を受けるのは約20年ぶりです。
詳しくは、追ってまた。
【西条昇の浅草エンタメ散歩】十二階こと凌雲閣の跡地へ [浅草六区]
ホッピー通りの正ちゃんを出て、歩いて山谷方面へ。
途中、浅草〈凌雲閣〉跡地の前を通っていく。
今年2月の工事中に十二階こと凌雲閣のレンガ造基礎が発見されたのを記念して、そこに立てられたビルの壁面に十二階の絵図を拡大して表示し、その下に発掘されたレンガが展示されている。
台東区教育委員会の協力で凌雲閣基礎遺構図を含めた解説プレートが表示されているのも良いことだね。
途中、浅草〈凌雲閣〉跡地の前を通っていく。
今年2月の工事中に十二階こと凌雲閣のレンガ造基礎が発見されたのを記念して、そこに立てられたビルの壁面に十二階の絵図を拡大して表示し、その下に発掘されたレンガが展示されている。
台東区教育委員会の協力で凌雲閣基礎遺構図を含めた解説プレートが表示されているのも良いことだね。