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【西条昇イベント情報】講師・案内人を務める「浅草芸能まちめぐり」が6月20日から27日に開催日変更 [浅草六区]

2021-06-05T20:31:26.jpg私、西条昇が講師・案内人を務め、6月20日(日)午前10時~午後1時半まで開催予定だった「浅草芸能まちめぐり」は緊急事態宣言延長のため、開催日が6月27日(日)の同時間帯に変更になりました。
すでに先着順でお申し込み頂いた方、キャンセル待ちの方には、担当者より、その旨、お知らせさせて頂いているようです。
当日は、千束社会教育館の会議室で浅草芸能資料を駆使したコース予習的なミニ講義(40分程度)の後、六区を中心に様々な劇場跡を巡ります。

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【西条昇イベント情報】6月20日の「浅草芸能まちめぐり」が東京新聞したまち版の記事に掲載 [浅草六区]

2021-05-22T16:00:53.jpg本日5/22(土)の東京新聞のしたまち版の記事で、6月20日(日)午前10時~午後1時半まで私、西条昇が講師・案内人を務める「浅草芸能まちめぐり」についてご紹介いただきました。
千束社会教育館の会議室で浅草芸能資料を駆使したコース予習的なミニ講義(40分程度)の後、六区を中心に様々な劇場跡を巡ります。
対象:16歳以上の方。台東区在住・在勤以外の方も参加できます。参加費500円。定員16名(先着順)。参加ご希望の方は台東区立千束社会教育館 TEL03-3874-5450までお電話を。

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【西条昇イベント情報】6月20日(日)午前10時~午後1時半に「浅草芸能まちめぐり」開催 [浅草六区]

2021-05-20T07:51:12.png6月20日(日)午前10時~午後1時半まで私、西条昇が講師・案内人を務める、たいとう再発見スタンプラリー対象講座「浅草芸能まちめぐり」が開催されます。
千束社会教育館の会議室で浅草芸能資料を駆使したコース予習的なミニ講義(40分程度)の後、六区を中心に様々な劇場跡を巡ります。
対象:16歳以上の方。台東区在住・在勤以外の方も参加できます。参加費500円。定員16名(先着順)。本日5月20日(木)より電話にて申込み受付開始。参加ご希望の方は台東区立千束社会教育館 TEL03-3874-5450までお電話を。

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【西条昇の浅草食べ歩き】昨年で閉店してしまった「天健」のかき揚げ丼 [浅草六区]

2019-03-07T22:27:38.jpg2019-03-07T22:27:38.jpg2019-03-07T22:27:38.jpg2019-03-07T22:27:38.jpg2019-03-07T22:27:38.jpg2019-03-07T22:27:38.jpg2019-03-07T22:27:38.jpg2019-03-07T22:27:38.jpg浅草では「アンヂェラス」や「蛇骨湯」の閉店が決まっているが、かつて永井荷風のお気に入りで断腸亭日乗に何度も記していた「天健」が昨年で閉店してしまったのはショックだったなあ。
今は更地になってしまい、自販機の置かれた天健跡を通るたびに、あの抜群に旨いかき揚げの天丼の味を思い出してしまうのだ。
店内には荷風や談志師匠の色紙も飾られていたっけ。

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【西条昇の浅草芸能史コレクション】昭和4年の浅草劇場のパンフ [浅草六区]

2018-12-09T23:05:52.jpg手元にある、浅草オペラ館が浅草劇場と改称していた昭和4年(1929)7月のパンフ。
松竹ニュースとの表記があるように、当時は松竹の傘下にあった。
この週は、林長二郎「切られ輿三」、栗島すみ子「浮世小路」の上映の他に、松竹ヂャズバンド演奏による「レヴュー」舞踊と独唱の実演が行われた。
昭和4年7月と言えば、丁度、浅草水族館の2階の演芸場でレヴューを売り物にした第一次「カジノ・フオーリー」が旗揚げされた月である。

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【西条昇の浅草オペラ館コレクション】大正期の浅草オペラ館週報 [浅草六区]

2018-12-08T18:44:42.jpg手元にある、大正期のオペラ館週報。
この時の上演作品は「QUEEN of SHEBA」。
旧約聖書に登場する「シバの女王」を描いたものだ。
大正13年(1924)2月15日発行との記載があり、前に紹介したマキノキネマ傑作映画劇競映週間の1週間前だったことが分かる。

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【西条昇の浅草オペラ史コレクション】大正13年の歌劇雑誌「オペラ」の浅草オペラ館の広告 [浅草六区]

2018-12-08T18:38:52.jpg大正13年(1924)12月発行の歌劇雑誌「オペラ」の12月号・新年号の合併号における浅草・オペラ館の広告。
キャッチコピーは「浅草に聳ゆる歌劇殿堂の権威オペラ館へ」。
この時のオペラ館の経営者は、この歌劇雑誌「オペラ」の発行人・編集人でもある森富太である。
大正13年の2月にはマキノキネマ傑作映画や「QUEEN of SHEBA」を上映していたから、その後、間もなくオペラ館は森富太の手に移り、文字通り「浅草オペラ」を上演する劇場になっていたことになる。
しかし、関東大震災をキッカケに浅草オペラの人気は復活せず、森歌劇団の消滅と共に浅草オペラもその歴史に幕を降ろすことになるのだ。

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【西条昇の浅草オペラ館コレクション】大正期の浅草オペラ館週報 [浅草六区]

2018-12-08T18:04:17.jpg手元にある、大正期の浅草オペラ館のマキノキネマ傑作映画劇競映週間のオペラ館週報。
マキノキネマとは牧野省三監督が設立した映画プロダクションで、この「青春の悲歌」「旅愁」「金色夜叉」の三本立ての時のオペラ館週報は、大正13年(1924)2月22日発行のものだ。
大正期に長く続いた土屋松濤の主任弁士時代も終わり、オペラ館も新しい時代を迎えたが、間もなく浅草オペラ残党による森歌劇団の公演が行われ、劇場名も浅草劇場に変更することになる。

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【西条昇の浅草芸能史コレクション】大正期の浅草オペラ館の演目の絵葉書二枚 [浅草六区]

2018-12-08T10:57:58.jpg2018-12-08T10:57:58.jpg明治42年(1909)に浅草六区で開場したオペラ館の大正期のものと思われる演目の絵葉書を二枚、所有している。
1枚目は、〈オペラ館五月下狂言 新派悲劇いひなつけノ内(一)ねだみ〉とあり、背景からすると活動写真の撮影の際に撮られたもののようだ。当時の所有者の手書きで五月二十九日(土)1915と枠外に記されていて、大正4年のものだということが分かる。
もう1枚は、〈オペラ館十一月下狂言(明烏)奥庭雪責ノ塲(實演)〉とあることと、背景や装置が舞台用であることから、舞台上での実演らしい。
大正期のオペラ館の演目は、土屋松濤を主任弁士とした新派悲劇調の活動写真が中心だったが、時には活動写真と共に小芝居としての実演があったり、連鎖劇のようなものが上演されていたということだろう。

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【西条昇の浅草芸能史コレクション】大正期の浅草オペラ館の日活作品「新野崎村」チラシ [浅草六区]

2018-12-08T10:45:51.jpg土屋松濤が主任弁士をしていた大正期の浅草オペラ館の日活作品「新野崎村」のチラシが手元にある。
後に映画監督となる衣笠貞之助が令嬢役の女形の俳優として名前が載っている。
衣笠貞之助が女形として日活向島撮影所入りしたのが大正6年(1917)のことだから、その数年後のものだろう。

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