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高見のっぽさんのご冥福をお祈り致します

2023-05-10T14:26:49.jpg亡くなられた高見のっぽさんの父親はチャップリンの物真似を得意とした俳優の柳妻麗三郎であり、松旭斎天秀として奇術師としても活躍した方で、のっぽさんはその影響を受けてフレッド・アステアに憧れ、ダンサーとしてデビュー。ヌード・レビューの殿堂であった日劇ミュージックホールの舞台に立ち、東宝ミュージカルスの研究生にもなった、言わば筋金入りのエンターテイナーと言える人なのだ。やがてNHKの音楽番組の司会を経て、NHKの様々な番組の構成、振付、作詞を手掛け、ノッポさん役に抜擢されている。一言も喋らずに感情表現をしつつ器用に工作をしてみせるのっぽさんの芸当は、このような経歴を持つ才人だからこそ出来たことだと言っていい。 フジテレビの幼児番組「ひらけ!ポンキッキ」の構成作家も務め、番組オリジナルソングの作詞も多く手掛けられた。 長きにわたって日本中の子どもたちを楽しませてくれた高見のっぽさんのご冥福をお祈り致します。

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【西条昇のストリップ史研究】「浅草ロック座」「ストリップ」が相次いでTwitterトレンド入りを

2023-05-09T10:44:44.jpg2023-05-09T10:44:44.jpgTwitterで5/1と5/6に「浅草ロック座」がトレンド入りしたのに続き、昨日5/8から今日5/9にかけては「ストリップ」がトレンド入りを果たしている。
これには、5/5のTBSのラジオ番組で神田伯山さんがロック座のストリップを取り上げたことと、昨日5/8から朝日新聞夕刊で5回連続のストリップ特集掲載が始まったことが大きいと思われる。明日5/10(水)の朝日新聞夕刊のストリップ特集3回めでは私、西条昇のコメントも掲載予定です。

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【西条昇メディア掲載情報】月刊浅草5月号に西条のインタビュー記事が4ページ掲載

2023-05-05T20:33:19.jpg2023-05-05T20:33:19.jpg月刊「浅草」(東京宣商出版部)5月号の「東洋興業会長 松倉久幸さんの浅草六区芸能伝」で、私、西条昇が子どもの頃から見続けてきた浅草芸能や浅草喜劇人についてのインタビュー記事が4ページにわたって掲載されました。
また、同誌6月号と7月号では、かつて新宿コマ劇場、日劇、東京宝塚劇場、明治座などでの喜劇公演でいつも観ていた石田英二さんと阿部昇二さんという大好きな二人の喜劇人にスポットを当てて書かせて頂きます。

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【西条昇のストリップ史研究】昭和54年の新世界 朝日ヌードショー劇場のポスター

2023-05-05T14:06:04.jpg昭和54年2月に開場した新世界の通天閣横スリィェスプラザ2階の朝日ヌードショー劇場「ピンク、サミット 悶絶ショウ」のポスター。
「ピンク、サミット」というフレーズは同年6月末に開催された東京サミットから取ったものだろう。
〈充実した内容で大評判!夏祭り魅惑のヌード!!〉〈本格派若手美女群の本番結集公演〉
イラストとデザインの色使いが昭和感満載で良いねえ…。

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【西条昇の軽演劇史研究】由利徹の改名歴を検証する…

2023-05-04T18:14:40.jpg2023-05-04T18:14:40.jpg2023-05-04T18:14:40.jpg2023-05-04T18:14:40.jpgWikipedia(2023/5/4時点)で喜劇役者の由利徹の項目を見てみると、その芸名に関して〝来歴〟欄には、
〈最初の芸名は「南啓二」(自ら名付けた)。その後「宇留木三平」となり、その後「ムリトウル」(「無理通る」に由来)にしようとしたが「この名前では大物になった時に困るだろう」として、一字変えて「由利徹」とした〉
とあり、〝エピソード〟欄には更に詳しく
〈南啓二の芸名で端役で舞台に出始めるが、採用から1年後の1943年に戦争で招集されて陸軍に入隊すると、暗号要員として中国戦線に送られた。空襲により新宿座の劇場は焼失したが、由利は終戦後新宿に戻った後1946年10月から「小議会」と改名した旧ムーランルージュに復帰。再開後の公演では主役級の役が与えられるようになり、その後劇団の青年部筆頭に名を連ねる(芸名を宇留木三平にしたのはこの頃)。 しかし、その後新宿でストリップ劇場が始まるなどして客足が流れたことで、1951年にムーランルージュは解散。由利はこれを機に心機一転を図るため、新東宝文芸部の先輩に「(先述の)ムリトオル」の芸名をつけることを相談すると、彼から「由利徹」と命名された。改名後は、ストリップ劇場の新宿セントラルでストリップの合間に行う寸劇の俳優となった〉
と書かれている。
僕の手元にある戦前のムーランルージュ新宿座プログラムで確認してみると、確かに「南啓二」の名前を見つけることが出来た。ただし、Wikipediaでは由利のムーラン入団は昭和17(1942)年とのことだが、「南啓二」の名が見られるのは同15(1940)年12月からのものだ。
そして、戦後に旧ムーランが一時期名乗っていた「劇団小議会」昭和21(1946)年10月1日~の第1回公演プログラムの連名表にはすでに「由利徹」の名が載っているのである。この後の小議会の公演と同22(1947)年4月8日~ムーランルージュ新宿座復活第1回公演以降も「由利徹」での出演が続いている。
昭和23(1948)年4月8日~のプログラムには何と「由利徹」と「宇留木三平」の両方の名が掲載されており、この由利と宇留木の共演状態は同25(1950)年9月15日~の公演まで途絶えることなく続く。同年11月1日~は宇留木は休演として名がのり、以降は由利だけが出演し続けている。
僕の所有する戦後ムーラン(小議会も含めて)50数枚のプログラムには宇留木だけの名が掲載されているものはなく(戦前ムーランでも見られない)、戦後ムーラン復活後に芸名を宇留木三平にしたという説はいかがなものだろうか。
また、ムーラン解散後に新東宝文芸部の先輩から由利徹と命名されたというのは明らかな間違いと言っていいだろう。

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【西条昇メディア放送情報】5/10(水)22時~NHKラジオ第2「アナウンサー百年百話」で解説コメントが紹介

NHKラジオ第2で5/10(水)午後10時から放送される「アナウンサー百年百話~女性アナウンサーが開いた放送の扉 初めてのバラエティー番組~」(元NHKアナウンサーの加賀美幸子さんがゲスト)において、かつてNHKテレビの「ばらえてい テレビファソラシド」に加賀美さんがレギュラー出演したことでその後の女性アナウンサーが広く認知されることにつながったことについての私、西条昇のコメントが紹介されます。
再放送は5/13(土)午後3時45分~で、再々放送は5/17(水)午前10時30分~。

女性アナウンサーが開いた放送の扉〜初めてのバラエティー番組〜 - アナウンサー百年百話 - NHK https://www.nhk.jp/p/ana100/rs/MVYJ6PRZMX/episode/re/LRGR56WVXZ/
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【西条昇メディア掲載情報】東京新聞朝刊に連載「芸人 今昔ものがたり」加藤茶編2回めが掲載

2023-05-03T14:06:06.jpg本日5/3(水)東京新聞朝刊に、私、西条昇が昨年4月から連載している「芸人 今昔ものがたり」加藤茶編の2回目〈新生ドリフ 「茶」誕生〉が掲載されました。

<芸人 今昔ものがたり 西条昇>加藤茶編(2) 新生ドリフ 「茶」誕生:東京新聞 TOKYO Web https://www.tokyo-np.co.jp/article/247702

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