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【西条昇の軽演劇史研究】由利徹の改名歴を検証する…

2023-05-04T18:14:40.jpg2023-05-04T18:14:40.jpg2023-05-04T18:14:40.jpg2023-05-04T18:14:40.jpgWikipedia(2023/5/4時点)で喜劇役者の由利徹の項目を見てみると、その芸名に関して〝来歴〟欄には、
〈最初の芸名は「南啓二」(自ら名付けた)。その後「宇留木三平」となり、その後「ムリトウル」(「無理通る」に由来)にしようとしたが「この名前では大物になった時に困るだろう」として、一字変えて「由利徹」とした〉
とあり、〝エピソード〟欄には更に詳しく
〈南啓二の芸名で端役で舞台に出始めるが、採用から1年後の1943年に戦争で招集されて陸軍に入隊すると、暗号要員として中国戦線に送られた。空襲により新宿座の劇場は焼失したが、由利は終戦後新宿に戻った後1946年10月から「小議会」と改名した旧ムーランルージュに復帰。再開後の公演では主役級の役が与えられるようになり、その後劇団の青年部筆頭に名を連ねる(芸名を宇留木三平にしたのはこの頃)。 しかし、その後新宿でストリップ劇場が始まるなどして客足が流れたことで、1951年にムーランルージュは解散。由利はこれを機に心機一転を図るため、新東宝文芸部の先輩に「(先述の)ムリトオル」の芸名をつけることを相談すると、彼から「由利徹」と命名された。改名後は、ストリップ劇場の新宿セントラルでストリップの合間に行う寸劇の俳優となった〉
と書かれている。
僕の手元にある戦前のムーランルージュ新宿座プログラムで確認してみると、確かに「南啓二」の名前を見つけることが出来た。ただし、Wikipediaでは由利のムーラン入団は昭和17(1942)年とのことだが、「南啓二」の名が見られるのは同15(1940)年12月からのものだ。
そして、戦後に旧ムーランが一時期名乗っていた「劇団小議会」昭和21(1946)年10月1日~の第1回公演プログラムの連名表にはすでに「由利徹」の名が載っているのである。この後の小議会の公演と同22(1947)年4月8日~ムーランルージュ新宿座復活第1回公演以降も「由利徹」での出演が続いている。
昭和23(1948)年4月8日~のプログラムには何と「由利徹」と「宇留木三平」の両方の名が掲載されており、この由利と宇留木の共演状態は同25(1950)年9月15日~の公演まで途絶えることなく続く。同年11月1日~は宇留木は休演として名がのり、以降は由利だけが出演し続けている。
僕の所有する戦後ムーラン(小議会も含めて)50数枚のプログラムには宇留木だけの名が掲載されているものはなく(戦前ムーランでも見られない)、戦後ムーラン復活後に芸名を宇留木三平にしたという説はいかがなものだろうか。
また、ムーラン解散後に新東宝文芸部の先輩から由利徹と命名されたというのは明らかな間違いと言っていいだろう。

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