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【西条昇の少女歌劇史コレクション】大正期の東京少女歌劇団のプログラム [レヴュー]

いろいろな少女歌劇団シリーズ。元祖ローカル・アイドル。
手元にある、大正期の東京少女歌劇団の第一回上演プログラム。
鈴木康義によって大正6年に浅草・三友館で旗揚げされ、浅草・日本館に出演時はアサヒ歌劇団(旭少女歌劇団)と名乗った。
その後は名古屋を中心に活動。やがて吉本の傘下に。
歌手・江利チエミの母親である谷崎歳子が在籍し、同歌劇団解散後の谷崎は吉本に残って金語楼劇団などで活躍した。20180819_185935.jpg20180819_185938.jpg
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【西条昇の少女歌劇史コレクション】新興少女歌劇の興行チラシ [レヴュー]

いろいろな少女歌劇団シリーズ。元祖ローカル・アイドル。
手元にある、戦前の丸亀劇場での新興少女歌劇の特別大興行のチラシ。
〈オール京都が誇る少女の唄とおどり〉。
特別出演は半島の歌手・盧雲鳳だ。20180818_140436.jpg
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【西条昇の少女歌劇史コレクション】大正末の大濱少女歌劇「歌劇オーハマ」 [レヴュー]

いろいろな少女歌劇団シリーズ。元祖ローカル・アイドル。
手元にある、大濱少女歌劇による大正14年8月発行の「歌劇 オーハマ」第二巻 八月号。
大濱少女歌劇は、宝塚少女歌劇団の影響を受け、大正13年に「大浜潮湯」の併設アトラクションとして発足。
こうしたファン向け冊子が定期的に発行されていたということは多くのファンに支持されていた証と言えるだろう。20180818_083145.jpg
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【西条昇の少女歌劇史コレクション】昭和初期の大市乙女ダンスのマッチラベル [レヴュー]

いろいろな少女歌劇団シリーズ。元祖ローカル・アイドル。
手元にある、昭和初期の大市乙女ダンスのマッチラベル。
大市乙女ダンスは、宝塚少女歌劇団の影響を受け、昭和初期に大阪・生駒山上遊園地大市温泉閣で結成された。
この大市道子の衣装はチャイニーズ風だね。20180818_000212.jpg
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【西条昇の少女歌劇史コレクション】昭和初期の新世界・松竹座でのガールズ・コメディアン一行の挨拶絵葉書 [レヴュー]

手元にある、昭和初期に新世界・松竹座の専属となった「ガールス・コメディアン」一行の挨拶葉書。
ガールス・コメディアン…、どんな舞台だったのかな。
#レヴュー #松竹座 #昭和レトロ20180817_122109.jpg
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【西条昇の少女歌劇史コレクション】昭和初期の先斗町少女レヴュー団が出演したイベントの招待券 [レヴュー]

手元にある、昭和10年代前半に先斗町少女レヴュー団が出演した〝たばこ祭〟の愛煙家招待券。
先斗町少女レヴュー団は、昭和初期に洋楽を使用し、少女レヴューも上演していた鴨川をどりのグループと同一だと見られている。20180813_101135.jpg
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【西条昇のレヴュー史コレクション】昭和初期の日活映画とレヴュー興行のチラシ [レヴュー]

手元にある、昭和4年頃の立川キネマの〈日活の巨篇と大レヴュー〉興行のチラシ。
映画は、二村定一の「アラビアの唄」を映画化した「砂漠に陽が落ちて」、時代劇「落花剣光録」など。
「浅草・レヴュー団」による実演付きである。
浅草で電気館レヴューが話題となり、その後、カジノ・フォーリーのレヴューが始まった頃のものだろう。20180811_001110.jpg
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【西条昇のレヴュー史コレクション】昭和4年の大阪・春日座でのタチバナ・フォーリーのチラシ [レヴュー]

手元にある、昭和4年7月の大阪・春日座での映画とレヴューのタチバナ・フォーリーのチラシ。
〈専属先に東都浅草に於てレヴュウ ボードビルの本格として颯爽たる好評を得たるレヴュウ タチバナ、フォーリーの来演〉とのこと。
同じ昭和4年7月には浅草で第1次カジノフォーリーが旗揚げされている。
昭和2年の宝塚少女歌劇団による日本初のレヴュー「モン・パリ」の上演で巻きおこった一種のレヴュー・ブームの流れの中で生まれた一座の一つだろう。20180806_184628.jpg20180806_184631.jpg
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【西条昇のレヴュー史コレクション】昭和14年の帝国劇場での松竹楽劇団の公演チラシ [レヴュー]

手元にある、昭和14年3月の帝国劇場での松竹楽劇団「桜をどり スプリング・ゴーズ・ラウンド」の公演チラシ。
松竹楽劇団は、東宝の日劇ダンシングチームに対抗して、当時、松竹傘下にあった帝国劇場の専属として実演のショーを上演していた男女混成レヴュー団である。
大阪松竹少女歌劇から笠置シヅ子(前名は三笠静子)が参加し、ここで作編曲を担当していた服部良一と出会ったことで、スイング調の「ラッパと娘」「センチメンタル・ダイナ」など、戦前の服部・笠置コンビの名曲が生み出された。
戦後間もなく大ブームとなった服部・笠置コンビの一連のブキウギ曲は、松竹楽劇団時代の二人の作品が原点になっているのだ。20180804_131005.jpg20180804_131008.jpg
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【西条昇のレヴュー史コレクション】昭和3年の新京極・松竹座での岡田嘉子一座のレヴュー公演の宣伝カード [レヴュー]

映画俳優の竹内良一と駆け落ち失踪して日活を解雇された女優の岡田嘉子が昭和3年に竹内と共に旗揚げした一座による新京極・松竹座公演の宣伝カード。
演目は、川口松太郎・作のレヴュー「救ひを求むる人々」。
その後、松竹蒲田の看板女優となった岡田は昭和11年に竹内と別れ、昭和13年1月に演出家・杉本良吉とソ連に亡命している。20180804_000624.jpg20180804_000629.jpg
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