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【西条昇の喜劇史コレクション】梅田コマでの「雲の上団五郎一座」のパンフ [喜劇]

手元にある、昭和50年3月の梅田コマ劇場での「雲の上団五郎一座」のパンフ。
フランキー堺が団五郎役を演じた時期の大阪公演である。
フランキー堺の他、坂本九、益田喜頓、芦屋雁之助、芦屋小雁、白木みのる、平参平、石田英二。
吉本新喜劇の平参平は大阪公演のみの団五郎一座への出演であった。20180714_094443.jpg
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【西条昇の上方喜劇史コレクション】明治末から大正初めの喜劇楽天會の面々の写真絵葉書 [喜劇]

手元にある、明治末から大正初めにかけての喜劇楽天會の幹部俳優たちの写真絵葉書。
〝石に喰らいついてでも〟という題名通り、五人全員が石に喰らいつこうとするポーズをとっている。
右から徳川天華、宮島辮天、粂田通天、中島楽翁、澁谷天外(初代)。
中島楽翁はもともと桂おもちゃという大阪の落語家で、その後、曽我廼家一座で曽我廼家箱王となり、澁谷天外は改良俄の鶴家団十郎一座で鶴家団治を名乗っていた。
明治40年(1907)に松竹が京都・朝日座で箱王・団治一座を旗揚げさせ、翌41年(1908)10月公演を機に二人が改名し、劇団名も楽翁の楽と天外の天を取って喜劇楽天會に改めた。
曽我廼家兄弟一座に対抗する人気劇団となっていたが、天外が大正5年(1916)に、楽翁が同9年(1920)に世を去り、同11年に解散している。
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【西条昇の上方喜劇史コレクション】新京極・京都座での田宮貞楽一座と大蛇レヴューのプログラム [喜劇]

手元にある、昭和初期の新京極・京都座での「笑ひの家 田宮貞楽と大蛇レヴュー」プログラム。
田宮貞楽は大正期には「喜楽会」を率いていた人で、昭和に入って自らの一座を「笑ひの家」と称するようになった。
「大蛇レヴュー」とは中西興行部による大蛇劇「重ね狂乱」のことで、主演の二代目 和歌山初子が大蛇を体に巻き付けた写真と、〈大蛇の大きさ〉のデータが掲載されている。
長さ 三間半、重量 三十貫、胴廻りの太さ 二尺五寸餘と、尺貫法では今一つピンとこないが、写真で見る限り、かなり大きな蛇であることが分かる。
戦後にストリップの時代になってから、やはり大蛇を体に巻き付けて踊るスネーク・ショーが流行ったこともある。
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【西条昇の上方喜劇史コレクション】昭和10年の新京極・三友劇場での「五貞楽劇」プログラム [喜劇]

手元にある、昭和10年7月の新京極・三友劇場での喜劇「五貞楽劇」プログラム。
宮村五貞楽は昭和初期に活躍した関西喜劇のスターで、俳優・金田龍之介の伯父にあたるとのことだ。
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【西条昇の上方喜劇史コレクション】昭和9年の新京極・三友劇場での「平安家族劇」プログラム [喜劇]

手元にある、昭和9年2月の新京極・三友劇場での「平安家族劇」プログラム。
曾我廼家香蝶、太郎、太門、富士野、太摩次、紫雪らの曾我廼家一派や、志賀廼家かもめ、浪次、白石、辮慶、都らの志賀廼家一派、田村楽太、小楽、新楽らの一派などによる混成喜劇一座である。
田村楽太と志賀廼家辮慶は、これから21年後の昭和30年9月公開の森繁久彌・主演の東宝映画「夫婦善哉」に出演し、共に味のある演技を見せている。
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【西条昇の上方喜劇史コレクション】昭和初期の神戸劇場での「朗らかな家族劇」プログラム [喜劇]

手元にある、昭和初期の神戸劇場での「朗らかな家族劇」プログラム。
この時の公演も次回公演も、永井茶釜 主演の笑劇と喜劇、松葉操一行の新派と剱剱、幕間に萬歳が入るという番組編成。
永井茶釜は、曾我廼家十吾が曾我廼家文福と名乗っていた頃にコンビを組み、文福茶釜一座で主に九州一帯を回っていたことがある人だ。
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【西条昇の上方喜劇史コレクション】大正期の千日前・彌生座での大和家小寳楽の現代喜劇プログラム [喜劇]

手元にある、大正期の千日前・彌生座での大和家小寳楽を中心とした現代喜劇プログラム。
1.笑劇「とんだ間違」、2.喜劇「聟選み」、3.社会劇「慕ひ行く影」、4.喜劇「血統」。
座長格の大和家小寳楽はもともと俄(仁輪加)師であり、落語家の初代 桂南天の父親にあたる。
ここに名前のある大和家楽三郎は、のちに芦乃家雁玉との漫才コンビで売れた林田十郎で、小寳楽の弟子としてこの頃の彌生座で初舞台を踏んだようだ。
また、横山エンタツの相方であった杉浦エノスケや、ミナミサザエと組んだ浮世亭歌楽も小寳楽の弟子であった。
彌生座には、昭和10年前後に、森川信や岸田一夫らのレヴュー劇団「ピエル・ボーイズ」が常打ちとして定着する。
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【西条昇の上方喜劇史コレクション】大正期の新世界ルナパークの演芸館のプログラム [喜劇]

手元にある、大正7年頃の大阪・新世界ルナパーク内の演芸館のプログラム。
この時に公演中だったのが、田宮貞楽を中心とした喜劇の「喜楽會劇」で、社会劇「紅の糸」と旧喜劇「かな手本 忠臣蔵」を上演。
次回公演は松旭斉天洋大一座で、タンバリンダンス、小奇術、大魔術、喜歌劇という番組編成。
活動写真館ではモンロー・ソールズベリー 主演の人情活劇「鷲(イーグル)」を上映している。
新世界ルナパークは1912年に開園し1923年まで営業された。
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【西条昇の上方喜劇史コレクション】新京極・三友劇場での新喜劇 相生會一派の番付 [喜劇]

手元にある、大正期~昭和初期頃の新京極・三友劇場での新喜劇 相生會一派の番付。
1.笑劇「箱」、2.舊喜劇「四十四年四ヶ月」、3.社会劇「太陽の沈む頃」、4.新喜劇「初音」。
相生會一派は、新喜劇を標榜した曽我廼家五郎、十郎の一座に刺激を受けて旗揚げした多くの喜劇団の中の一つと思われるが、詳しい資料はあまり無い。
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【西条昇の上方喜劇史コレクション】明治後期の道頓堀・中座での曽我廼家兄弟一座の筋書 [喜劇]

手元にある、明治42〜43年の曽我廼家五郎・十郎の曽我廼家兄弟一座による道頓堀・中座での新喜劇公演の筋書(プログラム)5冊。
当時の曽我廼家兄弟一座が日本で初めての喜劇専門の一座であり、「愉快の親玉」「滑稽の生酔」をキャッチフレーズとしたのは周知の事実だが、当初から「新喜劇」と銘打っていたことは今回初めて知った。
「新喜劇」と言えば、戦後に大阪で結成されて現在も続く「松竹新喜劇」や「吉本新喜劇」が有名だが、戦前に東京のレヴュー・軽演劇の作家たちが中心となって「劇団・新喜劇」や冊子「新喜劇」が作られたほか、萩本欽一による「浅草新喜劇」やポール牧による「東京新喜劇」もあった。
Comedyを喜劇と訳したのは坪内逍遥とも言われるが、日本最初の喜劇の一座は既に「新喜劇」と銘打っていたのだ。
曽我廼家兄弟一座は大正4年にそれぞれ五郎と十郎の一座に分裂してしまうが、五郎・十郎に蝶六が揃った舞台は死ぬほど面白かったろうなあ。
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