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【西条昇の上方喜劇史コレクション】明治後期の道頓堀・中座での曽我廼家兄弟一座の筋書 [喜劇]

手元にある、明治42〜43年の曽我廼家五郎・十郎の曽我廼家兄弟一座による道頓堀・中座での新喜劇公演の筋書(プログラム)5冊。
当時の曽我廼家兄弟一座が日本で初めての喜劇専門の一座であり、「愉快の親玉」「滑稽の生酔」をキャッチフレーズとしたのは周知の事実だが、当初から「新喜劇」と銘打っていたことは今回初めて知った。
「新喜劇」と言えば、戦後に大阪で結成されて現在も続く「松竹新喜劇」や「吉本新喜劇」が有名だが、戦前に東京のレヴュー・軽演劇の作家たちが中心となって「劇団・新喜劇」や冊子「新喜劇」が作られたほか、萩本欽一による「浅草新喜劇」やポール牧による「東京新喜劇」もあった。
Comedyを喜劇と訳したのは坪内逍遥とも言われるが、日本最初の喜劇の一座は既に「新喜劇」と銘打っていたのだ。
曽我廼家兄弟一座は大正4年にそれぞれ五郎と十郎の一座に分裂してしまうが、五郎・十郎に蝶六が揃った舞台は死ぬほど面白かったろうなあ。
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