SSブログ

【西条昇の喜劇史研究】僕の大好きな喜劇人ベスト10

僕が心から大好きな日本の喜劇人・コメディアンを(クレイジーキャッツとドリフターズ以外で)10人、名前を挙げるとしたら、森川信、佐山俊二、八波むと志、石田英二、渥美清、杉平助、三木のり平、有島一郎、堺駿二、由利徹だろうか。もちろん、他にも大好きな人は居るのだが。
nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:moblog

【西条昇の日本ミュージカル史研究】昭和30年の東京宝塚劇場「お軽と勘平」

2022-07-10T12:58:17.jpg2022-07-10T12:58:17.jpg2022-07-10T12:58:17.jpg2022-07-10T12:58:17.jpg昭和30年11月の東京宝塚劇場「お軽と勘平」プログラム。
昭和26年11月の「帝劇ミュージカル・コメデイ」で上演された作品の再演で、英語表記では「TOHO MUSICALS」、日本語表記では「東宝歌舞伎」と銘打れている。
出演は、エノケンこと榎本健一、越路吹雪、有島一郎、大泉滉、トニー谷、パン猪狩&猪狩定子らの全日本女子レスリングクラブ、ジム財津(のちの財津一郎)など。
また、出演している東宝芸能学校の第一期生の中に若き日のオヒョイさんこと藤村俊二、劇団現代喜劇の中に谷村昌彦が居る。
東京宝塚劇場は、昭和20年12月にGHQにより接収され、アーニー・パイル劇場となっていたが、昭和30年1月に接収解除となり、4月に旧劇場名に戻して再開場していた。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:moblog

【西条昇の日本ミュージカル史研究】帝劇~東宝~松竹~吉本「ミュージカルス」の系譜

2022-07-10T11:24:33.jpg2022-07-10T11:24:33.jpg2022-07-10T11:24:33.jpg2022-07-10T11:24:33.jpg2022-07-10T11:24:33.jpg2022-07-10T11:24:33.jpg2022-07-10T11:24:33.jpg2022-07-10T11:24:33.jpg2022-07-10T11:24:33.jpg2022-07-10T11:24:33.jpg「ミュージカルス」の系譜。
秦豊吉の「帝劇ミュージカルス」~菊田一夫の「東宝ミュージカルス」~浅草・常盤座での「浅草松竹ミュージカルス」~吉本の「ポケット・ミュージカルス」。
秦豊吉が「帝劇ミュージカルス」と銘打つのは昭和27年3月の第4回「浮かれ源氏」からで、第1回「モルガンお雪」と第2回「マダム貞奴」は「帝劇コミックオペラ」、第3回「お軽と勘平」は「帝劇ミュージカル・コメデイ」と銘打っていた。
菊田一夫は昭和31年2月に東京宝塚劇場で「東宝ミュージカルス」第1回公演を行ったが、同年6月の第2回公演以降は「東宝ミュージカル」と〝ス〟を取り除いている。
松竹が東宝に対抗して昭和31年11月に常盤座で旗揚げしたのが「浅草松竹ミュージカルス」で、その後は「松竹浅草ミュージカルス」として昭和33年4月の第11回公演まで続いた。
吉本興業が、うめだ花月・なんば花月・京都花月で「ポケット・ミュージカルス」と「吉本新喜劇」と共に上演し始めたのは昭和30年代半ば以降で、20数年にわたって「ミュージカルス」の名称を守っていた。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:moblog