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【西条昇の日本ミュージカル史研究】帝劇~東宝~松竹~吉本「ミュージカルス」の系譜

2022-07-10T11:24:33.jpg2022-07-10T11:24:33.jpg2022-07-10T11:24:33.jpg2022-07-10T11:24:33.jpg2022-07-10T11:24:33.jpg2022-07-10T11:24:33.jpg2022-07-10T11:24:33.jpg2022-07-10T11:24:33.jpg2022-07-10T11:24:33.jpg2022-07-10T11:24:33.jpg「ミュージカルス」の系譜。
秦豊吉の「帝劇ミュージカルス」~菊田一夫の「東宝ミュージカルス」~浅草・常盤座での「浅草松竹ミュージカルス」~吉本の「ポケット・ミュージカルス」。
秦豊吉が「帝劇ミュージカルス」と銘打つのは昭和27年3月の第4回「浮かれ源氏」からで、第1回「モルガンお雪」と第2回「マダム貞奴」は「帝劇コミックオペラ」、第3回「お軽と勘平」は「帝劇ミュージカル・コメデイ」と銘打っていた。
菊田一夫は昭和31年2月に東京宝塚劇場で「東宝ミュージカルス」第1回公演を行ったが、同年6月の第2回公演以降は「東宝ミュージカル」と〝ス〟を取り除いている。
松竹が東宝に対抗して昭和31年11月に常盤座で旗揚げしたのが「浅草松竹ミュージカルス」で、その後は「松竹浅草ミュージカルス」として昭和33年4月の第11回公演まで続いた。
吉本興業が、うめだ花月・なんば花月・京都花月で「ポケット・ミュージカルス」と「吉本新喜劇」と共に上演し始めたのは昭和30年代半ば以降で、20数年にわたって「ミュージカルス」の名称を守っていた。

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