【西条昇の昔の仕事シリーズ】「東京人」2004年7月号の加藤茶さんへのインタビュー記事
西条昇の昔の仕事シリーズ。
「東京人」(都市出版)2004年7月号の特集「東京 笑いの系譜」で、〈聞き手・文〉を担当した加藤茶さんへのインタビュー記事。
「桜井輝夫とドリフターズ」時代に、いかりや長介さんと対立した小野ヤスシさんジャイアント吉田さんらが脱退してドンキー・カルテットを結成し、ドンキーに合流するつもりがいかりやさんの説得でドリフ残留を決めた加藤さん。
「分かってくれる人がクスッと笑ってくれればいい、といった感じのドンキーの笑いに対して、ドリフは幅広い世代の人がドカーンと大爆笑できるような笑いーー。結果的に、ドンキーの面々よりも、いかりやさんのほうが、加藤さんと笑いの志向やセンスが合っていたように思えるのですが」との僕の質問に、加藤さんは「そうですね。実際に残ってみて、そう感じましたね。「8時だョ!全員集合」(TBS)をやるようになって、余計にそう思いました」と。
「東京人」(都市出版)2004年7月号の特集「東京 笑いの系譜」で、〈聞き手・文〉を担当した加藤茶さんへのインタビュー記事。
「桜井輝夫とドリフターズ」時代に、いかりや長介さんと対立した小野ヤスシさんジャイアント吉田さんらが脱退してドンキー・カルテットを結成し、ドンキーに合流するつもりがいかりやさんの説得でドリフ残留を決めた加藤さん。
「分かってくれる人がクスッと笑ってくれればいい、といった感じのドンキーの笑いに対して、ドリフは幅広い世代の人がドカーンと大爆笑できるような笑いーー。結果的に、ドンキーの面々よりも、いかりやさんのほうが、加藤さんと笑いの志向やセンスが合っていたように思えるのですが」との僕の質問に、加藤さんは「そうですね。実際に残ってみて、そう感じましたね。「8時だョ!全員集合」(TBS)をやるようになって、余計にそう思いました」と。
【西条昇の昔の仕事シリーズ】「東京人」2004年7月号の伊東四朗さんへのインタビュー記事
【西条昇の昔の仕事シリーズ】「東京人」2004年7月号の植木等さんへのインタビュー記事
山本コウタローさんのご冥福をお祈りします
亡くなられた山本コウタローさんが日本の音楽史に残した功績について振り返ってみたい。
まず、「ソルティー・シュガー」時代に100万枚近くを売り上げた「走れコウタロー」を世に送り出すきっかけを作ったことである。この曲は作詞も作曲もメイン・ボーカルも山本さんではないが、バンド練習に遅刻を繰り返す山本さんを他のメンバーがからかって口ずさんだことからこの曲が生まれ、「走れマキバオー」「走れウマ娘」の原曲として、昭和・平成・令和と長く歌い継がれるコミックソングの名曲となった。山本さんの人柄が皆から愛されていたからこそ、この曲が生まれたと言えるだろう。
また、「山本コウタローとウィークエンド」のデビュー曲で山本さんが作曲した「岬めぐり」も大ヒットし、時代を超えて歌い継がれている。これぞ、山本さんらしさがにじみ出た名曲だと思う。
心より、ご冥福ををお祈りいたします
まず、「ソルティー・シュガー」時代に100万枚近くを売り上げた「走れコウタロー」を世に送り出すきっかけを作ったことである。この曲は作詞も作曲もメイン・ボーカルも山本さんではないが、バンド練習に遅刻を繰り返す山本さんを他のメンバーがからかって口ずさんだことからこの曲が生まれ、「走れマキバオー」「走れウマ娘」の原曲として、昭和・平成・令和と長く歌い継がれるコミックソングの名曲となった。山本さんの人柄が皆から愛されていたからこそ、この曲が生まれたと言えるだろう。
また、「山本コウタローとウィークエンド」のデビュー曲で山本さんが作曲した「岬めぐり」も大ヒットし、時代を超えて歌い継がれている。これぞ、山本さんらしさがにじみ出た名曲だと思う。
心より、ご冥福ををお祈りいたします
【西条昇の喜劇史研究】僕の大好きな喜劇人ベスト10
僕が心から大好きな日本の喜劇人・コメディアンを(クレイジーキャッツとドリフターズ以外で)10人、名前を挙げるとしたら、森川信、佐山俊二、八波むと志、石田英二、渥美清、杉平助、三木のり平、有島一郎、堺駿二、由利徹だろうか。もちろん、他にも大好きな人は居るのだが。