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忌野清志郎さんを偲ぶ [エンタメ]

忌野清志郎さんの死は、82年から83年にかけて絶頂期のRCサクセションのコンサートを日本武道館や渋谷公会堂はもちろん、横浜や千葉の会場まで追いかけて見ていた僕にとって、凄くショックでした。
思えば、その頃の僕は18歳から19歳。
当時の清志郎さんは31歳から32歳だったんだね。
僕は当時は落語家だったんだけど、寄席の前座の仕事が終わってからRCのコンサートに行ったりしてたんだから変な落語家だよね。
もっとも83年には落語家を辞めてるんだけどね。
清志郎さんのド派手なメイクや衣装、ライブパフォーマンスも好きだったけど、利かん坊的にワルブってはみせるものの、どこかヒューマンで、ふざけん坊な感じで可愛い独特の歌詞がとりわけ大好きだったな~。
雨上がりの夜空にとか、キモちEとか、つ・き・あ・い・た・いとか、ドカドカうるさいR&Rバンドとか、ステージの清志郎さんの歌声を聴きながら、客席で一緒に歌ってた。
下の写真は、83年の9月に有楽町にあったニッポン放送の銀河スタジオでのオールナイト脳味噌JAM'83の招待券でね。
タモリのオールナイトニッポンのスペシャル版として深夜1時から3時まで生中継され、忌野清志郎&ドクトル梅津BAND、森田一義と脳ウニスクラッチャーズが出た。
何週か前の放送で告知されたんで、ハガキを出したら当たったんだよね。
サングラスをかけてくることという条件付きだったんで、あわててサングラスを用意して、当時まだデビュー前だった清水ミチコさんと2人で見に行ったっけ。
当日はRCの曲じゃなくて、梅津さんと前年に出したDANGERというアルバムからの曲が中心だったけど、それでも狭いスタジオで、手を伸ばせば届きそうな距離で清志郎さんのパフォーマンスを堪能できて、大満足だった。
この日にタモリが客前で喋ったネタもよーく覚えてるよ。
確か、1人の女性の性器を赤ちゃんの頃からお婆ちゃんになるまで定点観測的に映像で記録したものを、花のツボミが開く時や朝日が昇る時の早送り映像みたいに早送り的なフラッシュで編集したらどうなるかをアクション付きで再現してみせるネタだったな。
ラストには清志郎とタモリのコラボ的な曲もあったような気がする。
興奮さめやらぬまま、始発が走るまでミッちゃんとスタジオライブの感想を喋り合ってから帰ったっけな。
清志郎さんと言えば、細野晴臣さん坂本冬美さんとのユニット、HISの曲も名曲揃いなんだよね。
夜空の誓いもHISのテーマもいいし。
中でも、わーたーりー鳥、鴨カモン♪って清志郎が歌う曲が可愛くて好きだな。
シベリアの厳しい環境…とか、ツンドラの厳しい掟…とかっていう歌詞も飛びだして、最高なんだよね。
清志郎さんのご冥福を心よりお祈りします。


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