【西条昇のコメディ番組史研究】「あきれた学園」のスチール写真 [お笑い]
澤田隆治・演出、どつき漫才で売り出し中の正司敏江・玲児の主演による朝日放送の公開コメディ「あきれた学園」(1969年5月~71年9月)のスチール写真。
レツゴー三匹、桂春蝶(先代)、正司敏江・玲児、上方柳次・柳太という松竹芸能の面々が出演。
この中で今でもご健在なのは敏江師匠のみになってしまった。
レツゴー三匹、桂春蝶(先代)、正司敏江・玲児、上方柳次・柳太という松竹芸能の面々が出演。
この中で今でもご健在なのは敏江師匠のみになってしまった。
【西条昇のコメディ番組史研究】「とことんやれ大奮戦!」で東西の笑い作りの巨匠同士の顔合わせが実現 [お笑い]
日本テレビの公開コメディ番組「とことんやれ大奮戦!」(1973年10月~74年3月)で、プロデューサーの井原高忠(「光子の窓」「九ちゃん!」「巨泉×前武ゲバゲバ90分!」)と企画・演出の澤田隆治(「てなもんや三度笠」「スチャラカ社員」)という東西の笑い作りの巨匠による夢の顔合わせが実現。
この時、井原44歳、澤田40歳。同番組の主演はジャニーズ事務所のフォーリーブスだったから、現場では井原さん澤田さんジャニーさんが顔を合わせていたことになる。
日本テレビと共に番組を制作したビデオワークは当時の澤田の朝日放送からの出向先であり、朝日放送・毎日放送・関西テレビ・読売テレビ・松竹芸能の共同出資により設立された。
井原に上京を薦められた澤田は、75年8月に朝日放送と大阪東通の出資により設立された東阪企画の代表として東西を股にかけた活躍を見せる。
この時、井原44歳、澤田40歳。同番組の主演はジャニーズ事務所のフォーリーブスだったから、現場では井原さん澤田さんジャニーさんが顔を合わせていたことになる。
日本テレビと共に番組を制作したビデオワークは当時の澤田の朝日放送からの出向先であり、朝日放送・毎日放送・関西テレビ・読売テレビ・松竹芸能の共同出資により設立された。
井原に上京を薦められた澤田は、75年8月に朝日放送と大阪東通の出資により設立された東阪企画の代表として東西を股にかけた活躍を見せる。
【西条昇メディア掲載情報】東京オリンピック開会式演出解任問題へのコメントが毎日新聞に掲載 [お笑い]
【西条昇メディア掲載情報】小林賢太郎氏解任問題へのコメント記事が毎日新聞Webサイトで配信 [お笑い]
過去のコントを巡って東京オリンピック開閉会式のショーディレクターを解任された元「ラーメンズ」小林賢太郎氏についての私、西条昇のコメントを掲載した記事が毎日新聞のWebサイトで配信されました。
https://mainichi.jp/articles/20210722/k00/00m/040/107000c
https://mainichi.jp/articles/20210722/k00/00m/040/107000c
【西条昇の昔の仕事シリーズ】2003年に明石家さんまが出演の舞台「奇人たちの晩餐会」のパンフに寄稿 [お笑い]
【西条昇の昔の仕事シリーズ】1999年「週刊プレイボーイ」立木義浩さん撮影のカラーグラビアに登場 [お笑い]
【西条昇の昔の仕事シリーズ】澤田隆治さんの企画で番組構成を担当した「花王名人劇場 唄えば楽し!コミックソング大全集!!」のパンフ [お笑い]
【西条昇メディア掲載情報】共同通信に澤田隆治さんへの追悼コラムを [お笑い]
先ほど、共同通信に澤田隆治さんへの追悼コラムを書きました。
明日5/18(火)午前中には全国の新聞各紙に配信されるとのことなので、掲載されたメディア名が分かり次第、また、お知らせさせて頂きます。
明日5/18(火)午前中には全国の新聞各紙に配信されるとのことなので、掲載されたメディア名が分かり次第、また、お知らせさせて頂きます。
澤田隆治さんのご冥福をお祈りいたします [お笑い]
TVプロデューサー、演芸プロデューサー、コメディ演出家の澤田隆治さんがご逝去されたとのこと。
私は世代的に「てなもんや三度笠」「スチャラカ社員」には間に合いませんでしたが、澤田さんが東京進出されてからの「とことんやれ大奮戦」「喜劇復活祭」「浅草喜劇祭」「花王名人劇場」はリアルタイムでTVで見ていましたし、中学生時代から澤田さんの著書「私説コメディアン史」を愛読し、澤田さん演出の浅草松竹演芸場での関敬六劇団や日劇「雲の上団五郎一座」、浅草公会堂での「満員御礼!三波伸介一座」公開収録など生の舞台を楽しんでいました。
その憧れの澤田さんと、32年前の花王名人劇場枠「野沢直子のナーススクール物語」の脚本で初めてご一緒させていただいて以来、数えきれないほど多くの演芸番組の構成作家として声をかけて下さいました。
日本喜劇人協会や笑いと健康学会の理事、平成帝京大学の笑い学講座非常勤講師なども澤田さんにお誘いいただいたものです。
私がこれまで笑いの仕事に携わってこれたのも、全て澤田さんのおかげと言っても過言ではありません。
コメディの脚本作りにはとてもシビアでしたが、私とはお笑いマニア&コレクター同士で、いつも笑いについての話は尽きず、たくさんのことを教えていただきました。
今年1月末に電話で、澤田さんの関西時代のコメディ番組について二時間以上にわたって細かくお話をお聞きしたのが最後になってしまいました。
謹んでご冥福をお祈りしております。澤田さん、ありがとうございました。