【西条昇のドリフターズ史研究】「志村けんの大爆笑展」へ [お笑い]







志村さんに関する貴重な資料から実際に使用されたカツラや小道具まで展示されており、志村さんマニアやドリフマニアにとっては、たまらないイベントと言える。
バカ殿様、ひとみばあさん、金だらいなどとの撮影スポットもあって楽しかったな。
【西条昇のお笑い番組史研究】澤田隆治さんが私の名前を出して下さっている動画 [お笑い]
澤田隆治さんがテレビ創生期の吉本興業、松竹芸能、朝日放送、毎日放送などについて話されている動画。
9:05のところで、私、西条昇の名前も出して下さっています。
https://youtu.be/ct36YBOHK-M
9:05のところで、私、西条昇の名前も出して下さっています。
https://youtu.be/ct36YBOHK-M
【西条昇のドリフターズ研究】いかりや長介や加藤茶が加入前のドリフの紹介記事 [お笑い]
〝スラップスティックの天才〟正司敏江さんのご冥福をお祈りいたします [お笑い]


お二人のどつき漫才が全国的に注目されはじめたのは1970年のことで、その年のNHK紅白歌合戦にも応援出演を果たしている。
その時、1964年生まれの僕は6歳だったが、「大正テレビ寄席」や紅白などで画面から飛び出すのではないかと思うほど暴れまくる二人の姿は鮮明に覚えている。
今から30年ほど前に、「てなもんや三度笠」を演出された澤田隆治さんから同番組をベータのビデオテープに落とした物を借りて観てみると、その中に澤田さんが降板した後の「てなもんや一本槍」か「てなもんや二刀流」かに敏江・玲児のゲスト出演した回が混ざって録画されていた。まさしく、どつき漫才として絶頂期にあった二人の掛け合いの面白さが記録されており、6歳の頃を思い出して二人の場面を何遍も巻き戻して観たものだった。
玲児さんが敏江さんの後頭部や額を後ろから前からパン!パン!と良い音をさせてひっぱたく。敏江さんはその寸前に丁度良い位置に頭を持っていっており、叩かれた後の表情もまた絶妙と言えた。
そのうちに相手に体当たりするどつき合いに発展し、着物の裾をまくって赤い猿股を見せつつ勢いをつけて玲児さんを突き飛ばした敏江さんが、くるっと踵を返して意気揚々と引き揚げるべく背中を見せると、そこに玲児さんが片足で思い切り跳び蹴りをかます。ズデーンと前のめりにこける敏江さん。
背中に跳び蹴りをかますのは、1967年あたりからコント55号の萩本欽一さんが坂上二郎さんに対して〝机〟のコントなどでやっていたが、男性の玲児さんが女性の敏江さんに対してやってみせるのが画期的かつ衝撃的であり、しかも観ていて全く痛々しさが感じられなかった。
1971年から翌72年にかけてTBSで放送された「時間ですよ」の第2シリーズにも二人は松の湯の近所で理容店を営む夫婦役でレギュラー出演し、毎回、女湯に派手な夫婦喧嘩をしながらなだれ込んでくる場面で見せ場を作っていた。
72年に新番組の降板騒動をきっかけに玲児さんが一時的に松竹芸能から契約解除されると、翌73年あたりから吉本新喜劇の木村進さん間寛平さんのコンビがド迫力のどつき合いで台頭してくる。東京では72年に結成されたマックボンボンという二人組のコントで相手の背中に跳び蹴りをかましたり、片足で相手の頬を蹴り倒していた志村けんさんがコンビ解散後、74年にザ・ドリフターズに正式加入した。
74年に離婚後もそれをネタにしてコンビ活動を続けた敏江・玲児の二人だったが、頭や額へのどつきは継続される一方で、徐々に往年の体当たりからの跳び蹴りのような激しい動きを見せる機会は少なくなっていった。
1990年代に入って、澤田さんの演出、僕の構成で「花王ファミリースペシャル」を制作した際、敏江・玲児さんに〝ぜひ、もう一度、激しめのどつき漫才を〟とリクエストしたことがあった。お二人は「どこまで動けるか分かりませんよ」と言いつつ、体当たりから跳び蹴りのくだりまでを見せてくれたものだ。
玲児さんが亡くなる数年前に、浅草の木馬亭で澤田さんが企画した演芸の会にゲスト出演されたのが、お二人の漫才を生で観た最後の機会になった。
僕にとって、敏江さんはどつき漫才という枠を越えた〝スラップスティック・コメディ〟を演じられる天才の一人であった。
謹んで、ご冥福をお祈りいたします。
【西条昇のコメディ番組史研究】「スチャラカ社員」の横山エンタツと中田ダイマルのスチール写真 [お笑い]
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【西条昇のコメディ番組史研究】「スチャラカ社員」で〝らしさ〟を発揮する由利徹のスチール写真 [お笑い]




澤田隆治さんが演出した朝日放送の公開コメディ「スチャラカ社員」(1961年4月~67年4月)で、社長役のミヤコ蝶々、課長役の長門勇、社員役の中田ダイマル・ラケット、少年給仕役の白木みのるといったレギュラー陣を向こうにまわして、存分に〝らしさ〟を発揮するご存知〈色豪〉由利徹。
「オシャ、マンベ!…合わせてクッチャン」「女満別(メマン、ベツ)!」
やたらとシモがかった笑いに持っていく由利さんの芸風は、志村けん(高校生の時に弟子入りを志願)、加藤茶(「チョッとだけヨ」やハゲ親父キャラ)、ビートたけし(「コマネチ!」「デチャーチン!」など)といった後輩コメディアンにも大きな影響を与えている。