SSブログ

【西条昇メディア掲載情報】北海道新聞に「決定版 日本の喜劇人」の書評を執筆掲載 [喜劇]

私、西条昇による小林信彦 著「決定版 日本の喜劇人」(新潮社)への書評が7/11(日)の北海道新聞の朝刊に掲載され、電子版でも配信されました。
https://www.hokkaido-np.co.jp/sp/article/565999?rct=s_books
nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:演劇

【西条昇のストリップ史研究】浅草ロック座の創立が1947年8月15日という誤りについて [ストリップ]

2021-07-12T08:13:15.jpg昨日7/11(日)東武博物館ホールで開催した講演「永井荷風と浅草芸能」第二回より。
浅草ロック座の開館記念日は8月15日とされ、Wikipediaにも1947年8月15日創立と書かれているが、これは明らかな誤りで、正確には同年8月1日の開館なのだ。
第1回公演は〝額縁ショウ〟で有名な帝都座ショウによるレヴュー「夏のおどり」。特別出演はコントーションの岡本八重子ら。
8月15日からの第2回公演ではやはり新宿帝都座でヒットした「肉体の門」が上演されている。

nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:芸能

【西条昇イベント情報】東武博物館での講演「永井荷風と浅草芸能」第二回を開催 [浅草六区]

2021-07-11T19:30:57.jpg2021-07-11T19:30:57.jpg2021-07-11T19:30:57.jpg2021-07-11T19:30:57.jpg2021-07-11T19:30:57.jpg2021-07-11T19:30:57.jpg2021-07-11T19:30:57.jpg2021-07-11T19:30:57.jpg2021-07-11T19:30:57.jpg2021-07-11T19:30:57.jpg今日7/11(日)は14時より東向島の東武博物館ホールで、緊急事態宣言により延期されていた向島文化サロンの私、西条昇の講演「永井荷風と浅草芸能」の第二回「戦後、再び浅草へ…ロック座とフランス座」を。
約90分の講演を終えた後、浅草に出て、荷風がロック座やフランス座の踊り子・女優を連れて頻繁に通っていた、どぜうの飯田屋で、どぜう鍋、どぜう唐揚げ、うざく、どぜう汁を。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:芸能

【西条昇の浅草軽演劇史研究】浅草・東洋劇場での丁稚トリオの舞台写真 [軽演劇]

2021-07-10T22:48:45.jpg昭和35年3月の浅草・東洋劇場「春はニキビの花盛り」の舞台写真。
左から、林京子、石田暎二、池信一、東八郎。
〝丁稚トリオ〟と称した石田、池、東の芸とその面白さについては、研究生として当時の舞台を間近で見ていた萩本欽一さんから詳しくお聞きしたことがある。

nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:演劇

【西条昇の浅草軽演劇史研究】浅草ロック座「春情ももくり毛」の舞台写真 [軽演劇]

2021-07-10T09:54:28.jpg昭和20年代後半の浅草ロック座での「春情ももくり毛」(作・水守三郎)の舞台写真。
弥次喜多を演じるのは、佐山俊二(一番左)と池信一(左から四人め)だ。
これ、見たかったなあ。
池は、のちに東洋劇場に移り、萩本欽一の師匠になった人で、後年はフジテレビ「銭形平次」で三の輪の万七の子分・お神楽の清吉役を永く演じた。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:演劇

【西条昇の浅草軽演劇史研究】昭和35年3月の浅草・東洋劇場「ずべ公天使」の舞台写真 [軽演劇]

2021-07-09T22:09:12.jpg2021-07-09T22:09:12.jpg浅草・東洋劇場で上演された「ずべ公天使」(作・演出 高崎三郎、緑川士朗)の舞台写真。
初演は昭和34年11月で、これは翌35年3月の再演時の物だ。
一枚め、右から石田暎二、一人とんで炎加世子、前田通子。
二枚め、左から前田通子、梶田稔、佐藤久雄、文部おさむ。
当時、緑川の紹介で東洋劇場の研究生になったばかりの萩本欽一は、この時に黒雲会会長の黒川を演じた石田の演技をのちに絶賛している。
同作品は同年3月に東映で映画化され、黒川役は柳永二郎が演じた。
前田通子は新東宝の大型グラマー女優として活躍していたが「二階の階段の上で裾をまくれ」との監督の指示を拒絶して大蔵貢の怒りを買い、五社協定で映画・TVから干されていたことろを東洋興業が招いて話題となった。

nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:演劇