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【西条昇のお笑い日記】笑いと健康学会の理事会に出席

2019-10-26T13:48:34.jpg今日は、六本木・ハリウッド大学院大学での「笑いと健康学会」の理事会と総会に出席してきました。

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【西条昇の浅草レヴュー史コレクション】昭和8年の玉木座「プペ・ダンサント」のプログラム

2019-10-24T18:03:02.jpg2019-10-24T18:03:02.jpg手元にある、昭和8年(1933)11月の浅草・玉木座でのレヴュー劇団「プペ・ダンサント」のプログラム。
同劇団は、昭和5年11月にエノケンこと榎本健一らによって旗揚げされたが、翌6年にエノケンが抜け、その後、エノケンの師匠の柳田貞一が中心となり、やがて、その柳田も去った。
これは第3次プペ・ダンサントの時の物で、戦中戦後の軽演劇の中心人物となる森川信とシミキンこと清水金一が共に在籍。二人は、この後、大阪・千日前の彌生座で旗揚げされた「ピエル・ボーイズ」に移っている。
他に、藤尾純、白河貫一、林葉三ら。
軽演劇作家の淀橋太郎に言わせれば、白河が最も才能があったとか。観てみたかったな。

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【西条昇メディア掲載情報】本日10/23(水)東京新聞朝刊に連載「笑う神拾う神 浅草編」3回め掲載

2019-10-23T10:41:09.jpg本日10/23(水)東京新聞朝刊の私、西条昇の連載コラム「笑う神拾う神 浅草編」第3回めでは、今年92歳になられた野菜尺八漫談のはたのぼるさんについて書きました。

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【西条昇の浅草お笑い日記】東洋館で第4回 牧伸二杯とコント芝居「水戸肛門珍道中」を

2019-10-22T21:51:01.jpg今日は東京演芸協会の第4回 牧伸二杯と、はたのぼる名誉会長主演のコント芝居「水戸黄門珍道中」を観るために浅草・東洋館へ。
観客の投票による牧伸二杯を〈一人ミュージカル〉の王子菜摘子さんが獲得したのに納得。

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【西条昇の興行史コレクション】帝国館での実演「生きてゐるバラバラ人間」のチラシ

2019-10-20T19:53:07.jpg手元にある、帝国館での昭和13年公開の新興京都「龍虎日本晴れ」「親なればこそ」と〝驚天動地の大実演〟「生きてゐるバラバラ人間」のチラシ。
〈絶対インチキ物でなし!〉。どんな実演だったのかな。

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【西条昇の浅草浮世絵コレクション】明治33年発行の小林版 浅草公園遊ビ

2019-10-20T14:57:44.jpg2019-10-20T14:57:44.jpg手元にある、明治33年(1900)発行の浮世絵「小林版 浅草公園遊ビ」。
上段の浅草寺本堂の参拝客、中段の娘玉の利の太夫たち、下段の十二階や六区を臨む料亭の客たちが、すべて猫の顔で描かれている。
画作印刷兼発行人は小林新吉である。

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【西条昇のお笑い史コレクション】昭和17年の帝都座演芸場と東宝笑和会のプログラム

2019-10-13T18:51:25.jpg2019-10-13T18:51:25.jpg手元にある、昭和17年(1942)11月上席の東宝演芸会社提供の帝都座演芸場と東宝笑和会のプログラムと帝都座演芸場の入場券。
〈銃後の健全娯楽は東宝の演芸から〉。
帝都座演芸場には、音曲漫才の十辺舎亀造・住江、指の音楽の田村大三指笛楽団、漫劇の波多野栄一一党の他に、音楽軽演劇の大宮登志夫とその一党が出演。
大宮登志夫は戦後に「デン助劇団」を率いて一世を風靡した大宮敏光(晩年に敏充と改名)の前名である。
帝都座演芸場は昭和22年1月に秦豊吉が構想した〝額縁ショウ〟を上演し、話題を呼んだ。

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【西条昇のお笑い史コレクション】コントトリオ「ギャグメッセンジャーズ」のサイン色紙2枚

2019-10-13T16:41:17.jpg2019-10-13T16:41:17.jpg手元にある、昭和40~50年代前半に活躍したコントトリオ「ギャグメッセンジャーズ」のサイン色紙2枚。
1枚めは昭和44年9月の物で、当時のメンバーはリーダーの須磨一露に田畑俊二と丘さと志。
この後、田畑が脱退し、町田陽介→成美信とメンバーが変遷。
2枚めは、トリオ解散寸前の物で、須磨の他は七重欽介となんばゆうと。
ギャグメッセンジャーズの前身「Aワンコミック」には須磨、田畑の他に萩本欽一が在籍していた。

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【西条昇のストリップ史コレクション】吾妻京子の抗議文に対する伊吹まりの反論の生原稿

2019-10-07T18:46:51.jpg2019-10-07T18:46:51.jpg手元にある、昭和27年の三大スターの〝ストリップ廃業声明〟への吾妻京子の抗議文に対する伊吹まりの反論の生原稿「吾妻京子さんへの御返事」。
ストリッパーによるストリップ論争が巻きおこった経緯は前の投稿で触れた通りで、この二百字詰め6枚の文章は伊吹まり名義にはなっているが、日劇ミュージックホール運営委員の丸尾長顕の名前入り専用原稿用紙「長顕草稿」に書かれている。
〈私達はストリップそのものを軽蔑するのではありません。ストリップによって、低劣なワイセツ感をねらう舞台、その「低劣なワイセツ」を強いられる舞台を、忌避したのです〉〈私達は、ヌードによるエロティズムはねらいますが「ワイセツ」はねらいません〉。

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【西条昇のストリップ史コレクション】昭和27年のストリップ三大スターの廃業声明に対する吾妻京子の抗議文

2019-10-07T13:12:01.jpg2019-10-07T13:12:01.jpg手元にある、昭和27年のメリー松原、ヒロセ元美、伊吹まりの〝ストリップ廃業声明〟に対する吾妻京子の直筆の抗議文。
同年1月に東宝の小林一三社長が「有楽町からのハダカ追放」を宣言して日劇小劇場を閉鎖。3月に日劇ミュージックホールと改称してハダカなしで開場したものの客が入らず、再びハダカを登場させるにあたって、運営委員の丸尾長顕がメリー松原、ヒロセ元美、伊吹まりの三大スターに〈私たち三人は長らくストリッパーとして舞台に立って参りましたが、この度思うところがありまして、三人で話合いの上、所謂ストリップを廃業することになりました〉〈私たちは新しいヌード芸術に邁進し、これを高い芸術にまでエレベートしたい希望にもえています〉との声明を出させた。
これに対し、新宿セントラル劇場のスターであった吾妻京子が三人に〈自分の個性や技術がストリップティーズに適さないと思って転向するのなら別ですが、あの声明の為に真面目に勉強して居るストリッパー達が一層世の中から誤解される事を恐れます〉と反論した時の物だ。
この人気ストリッパーによるストリップ論争は当時の内外タイムスなどで大きく報じられた。

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