手元にある、昭和23年3月の京都座での曽我廼家五郎劇団の公演パンフ。
明治37年の曽我廼家兄弟劇の旗揚げ以来、日本における喜劇の確立に貢献してきた曽我廼家五郎は咽頭癌の進行により、 舞台には立てず、〈補導〉という肩書きになっている。
その代わりというべきか、〈曽我廼家十吾加入〉とあるように、松竹家庭劇の曽我廼家十吾が加わって、五郎の居ない五郎劇団を支える役割を担ってみせた。
喜劇王・曽我廼家五郎が世を去ったのは同年11月のことであった。
2016-02-28 23:44
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