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慎吾ちゃんが「仮装大賞」で欽ちゃんと司会をしている理由とは? [ジャニーズ]

現在、年2回ペースで日テレ系で放送されている「全日本仮装大賞」の司会陣にSMAPの香取慎吾くんが加わったのは、今から4年前の2002年のことである。
それまで長い間、一人で同番組の司会を務めてきた欽ちゃんこと萩本欽一さんと慎吾ちゃんが司会コンビを組むようになったのはどうしてなのか・・、という疑問を持ったことがあるかた、その組み合わせを意外に思われるかたは結構多いんじゃないかなー。
まずはそこに至るまでの欽ちゃんとジャニーズとの関係についてということから考えてみようっかね。
坂上二郎さんとの「コント55号」時代に若い女性ファンに追っかけられた経験を持つ欽ちゃんは、1981年スタートの自らの冠番組「欽ドン! 良い子悪い子普通の子」からヨシオ・ワルオ・フツオ役の山口良一・西山浩司・長江健次の3人を「イモ欽トリオ」と名付け、「ハイスクールララバイ」という曲でレコード・デビューさせている。この曲がレコード売上げ1位を記録。「イモ欽トリオ」というグループ名は当時大人気だったジャニーズ事務所のアイドル「たのきんトリオ」のパロディーね。ジャニーズ所属のメンバーは1人もいなかったんだけど。「なっ!!」って甲高い声を出して叫ぶのがウリでグループ最年少の長江健次くんなんか特に女性ファンにキャーキャー言われてたし、完全に<笑いのアイドル>って感じだった。
83年には「週刊欽曜日」から「一世風靡」系事務所所属の風見慎吾(現在は風見しんご)が「僕笑っちゃいます」という曲でデビュー。これで、この年の日本有線大賞の最優秀新人賞を受賞してるのだ。風見の場合も<笑いのアイドル>のノリだったね。
当時<視聴率100%男>と言われた萩本の<笑いのアイドル作り>の手腕に着目したジャニーさんは、萩本本人に「欽ちゃん、ウチにも若いのがいっぱいいるから、良かったら見て、使ってよ・・」とアプローチをしたとのことだ。
これがキッカケとなって、87年に「ドキド欽ちゃんスピリッツ」から「悲しきエクササイズ」という曲でデビューした「おめで隊」(グループ名はシブがき隊や少年隊のパロディー)のメンバー3人のうち、ジャニーズ事務所から2人(正木くん中村くん)が送り込まれている。
88年に「欽きらリン530」から「BEGINNING」という曲でデビューした「CHA-CHA」はメンバー5人中2人(木野くん中村くん)がジャニーズ事務所所属だった。ちなみに、この時、ジャニーズから木村拓哉くんと草なぎ剛くんも同番組の出演者オーディション最終選考まで残っていたのは有名な話だよねー。欽ちゃんご本人に聞いたところによると、彼ら2人に笑いの才能を感じながらも、リハーサルの合間にいつも踊っている2人の姿を見て、この子たちはこのまま笑いの世界に引き込んではいけないんじゃないかと思って結果的に不合格にしたそうだ。同じ年、木村くんと草なぎくんはジャニーさんによって中居くん香取くん吾郎ちゃんらとともにSMAPの前身である「スケートボーイズ」のメンバーに選ばれている。
こうした欽ちゃんとの仕事は、ジャニーさんにとって、のちにSMAPにコントやバラエティーに取り組ませるうえでのシュミレーションというか、いい経験になったのではないかなー。
その後も欽ちゃんと


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