【西条昇のストリップ史コレクション】昭和24年頃の千日前・彌生座「P・Bショウ」パンフ
手元にある、昭和24年頃の大阪・千日前の彌生座のP・Bショウのパンフ。
P・Bは戦前に大阪で初の常打ちレヴュー劇団として彌生座で結成されたピエル・ボーイズの略で、当初は森川信と岸田一夫が二人座長的な存在だった。
一度、解散状態となったが、戦後に岸田一夫の座長で復活し、ストリップを取り入れた公演を行っていた。
座員には、岸田の弟子で、昭和30年代前半に浅草四郎との漫才コンビを組んで大阪で活躍した姿三平の名前も。
次回公演の予告では〈ストリップ・スプリング・フェスティバル〉と題し、「むっつり助平捕物帖」「春爛漫女体まつり」などを上演。
また、この時の「へそは乱れ飛ぶ」ではストリップに続いて、岸田と姿の師弟コンビと石川邦夫で、浅草三大コントの一つである「仁丹」を演じている。
浅草出身のコメディアンたちによって、日本全国の小屋で数えきれないほど演じられたであろう「仁丹」だが、こうしてパンフに題名が記されているケースは少ないのではないか。
P・Bは戦前に大阪で初の常打ちレヴュー劇団として彌生座で結成されたピエル・ボーイズの略で、当初は森川信と岸田一夫が二人座長的な存在だった。
一度、解散状態となったが、戦後に岸田一夫の座長で復活し、ストリップを取り入れた公演を行っていた。
座員には、岸田の弟子で、昭和30年代前半に浅草四郎との漫才コンビを組んで大阪で活躍した姿三平の名前も。
次回公演の予告では〈ストリップ・スプリング・フェスティバル〉と題し、「むっつり助平捕物帖」「春爛漫女体まつり」などを上演。
また、この時の「へそは乱れ飛ぶ」ではストリップに続いて、岸田と姿の師弟コンビと石川邦夫で、浅草三大コントの一つである「仁丹」を演じている。
浅草出身のコメディアンたちによって、日本全国の小屋で数えきれないほど演じられたであろう「仁丹」だが、こうしてパンフに題名が記されているケースは少ないのではないか。
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