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【西条昇の上方喜劇史コレクション】曽我廼家五郎改め和田久一一派「平民劇団」の筋書

2019-03-02T13:11:19.jpg手元にある、大正4年9月の道頓堀・中劇場での曽我廼家五郎改め和田久一一派「平民劇団」公演の筋書。
明治37年に曽我廼家十郎と共に曽我廼家兄弟一座を旗揚げした曽我廼家五郎だが、ナンセンス喜劇志向の十郎に対して涙と笑いの人情喜劇中心の五郎という喜劇観の違いから大正2年に兄弟一座を解散。
渡欧して西洋の喜劇を学んだ五郎は帰国後に本名の和田久一を名乗り、平民劇団を結成する。
ほどなくして、また芸名の曽我廼家五郎に戻り、昭和23年に世を去るまで日本の喜劇をリードし続けた。

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