【西条昇の浅草・軽演劇史コレクション】昭和7~8年の玉木座でのプペ・ダンサントのプログラム [浅草六区]
手元にある、昭和7年5月と翌8年10月の浅草・玉木座でのプペ・ダンサントのプログラム。
昭和7年のは、エノケン一派がオペラ館に移ってピエル・ブリヤントを旗揚げし、エノケンの師匠の柳田貞一がプペに残って座長格になった頃のものだ。
文芸部のサトウハチローや菊田一夫も残っていた。
昭和8年のは、柳田やサトウハチローや菊田も抜けた頃のもので、森川信やシミキンこと清水金一という後に大物喜劇人となる二人が若手として頭角を現しはじめていた。
しかし、翌9年あたりにはプペは解散となり、玉木座は閉館となっている。
昭和7年のは、エノケン一派がオペラ館に移ってピエル・ブリヤントを旗揚げし、エノケンの師匠の柳田貞一がプペに残って座長格になった頃のものだ。
文芸部のサトウハチローや菊田一夫も残っていた。
昭和8年のは、柳田やサトウハチローや菊田も抜けた頃のもので、森川信やシミキンこと清水金一という後に大物喜劇人となる二人が若手として頭角を現しはじめていた。
しかし、翌9年あたりにはプペは解散となり、玉木座は閉館となっている。
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