【西条昇の浅草 ストリップ史研究】昭和24年の浅草ロック座のパンフ [ストリップ]
手元にある、昭和24年8月の浅草ロック座のパンフ。
ロック座は国華興行が創業し、松倉興行の経営に移った頃で、この後、東洋興行経営となる。
当時のロック座の専属劇団「ショウ東京ロック」の座長はバンジュンこと伴淳三郎である。
永井荷風がロック座の楽屋に頻繁に顔を出すようになったのも、この頃のことだ。
伴淳三郎は、昭和26年から清川虹子の紹介で、斎藤寅次郎監督の映画に出るようになり、「アジャパー」が全国的に流行したことで、一躍、喜劇界のトップスターに。
アクの強い芸風は当時から変わらなかった。アジャパー!
ロック座は国華興行が創業し、松倉興行の経営に移った頃で、この後、東洋興行経営となる。
当時のロック座の専属劇団「ショウ東京ロック」の座長はバンジュンこと伴淳三郎である。
永井荷風がロック座の楽屋に頻繁に顔を出すようになったのも、この頃のことだ。
伴淳三郎は、昭和26年から清川虹子の紹介で、斎藤寅次郎監督の映画に出るようになり、「アジャパー」が全国的に流行したことで、一躍、喜劇界のトップスターに。
アクの強い芸風は当時から変わらなかった。アジャパー!
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