【西条昇の上方喜劇史研究】大正6年の新京極・夷谷座での曽我廼家十郎一派の番付 [喜劇]
手元にある、大正6年の新京極・夷谷座での曽我廼家十郎一派の興行の番付。
涙と笑いの人情喜劇がベースの曽我廼家五郎と大正2年に袂を分かち、自らの一座で俄がベースのナンセンスな喜劇を追究した十郎だが、大正14年に57歳で死去。
以後、日本の喜劇は、五郎流の人情喜劇が主流派となっていく。
涙と笑いの人情喜劇がベースの曽我廼家五郎と大正2年に袂を分かち、自らの一座で俄がベースのナンセンスな喜劇を追究した十郎だが、大正14年に57歳で死去。
以後、日本の喜劇は、五郎流の人情喜劇が主流派となっていく。
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