【西条昇の浅草ストリップ・コレクション】昭和35年の雑誌「実話読物」の浅草フランス座の特集グラビア・ページ
手元にある、昭和35年10月の「実話読物」の白黒グラビア4ページで浅草フランス座の舞台稽古風景を追った特集「真夜中にうごめく美女たち」。
浅草フランス座は、もともと現在の浅草演芸ホールのある1階にあったが、東洋興業は昭和34年に上階の建て増し工事を行い、1階を軽演劇の東洋劇場とし、浅草フランス座を現在の東洋館のある上階のほうへ移動させた。
昭和35年の春には萩本欽一が東洋劇場にコメディアンの研究生として入り、1年ほど経ってから上階の浅草フランス座のほうへ出向を命じられる。
昭和30年代前半まで浅草フランス座に在籍していた八波むと志、佐山俊二、渥美清、谷幹一、関敬六、長門勇らは既にテレビに進出しており、当時は阿部昇二が座長格で、その下に坂上二郎や現在は浅草21世紀で活躍中の真木淳らが居た。
ここで、若き萩本欽一と坂上二郎が幕間コントでアドリブの火花を散らしたことが、のちにコント55号を組むキッカケとなった。
この特集記事の頃は、萩本欽一はまだ下の東洋劇場に居た筈だが、坂上二郎はもう居た頃だろうか。
浅草フランス座は、もともと現在の浅草演芸ホールのある1階にあったが、東洋興業は昭和34年に上階の建て増し工事を行い、1階を軽演劇の東洋劇場とし、浅草フランス座を現在の東洋館のある上階のほうへ移動させた。
昭和35年の春には萩本欽一が東洋劇場にコメディアンの研究生として入り、1年ほど経ってから上階の浅草フランス座のほうへ出向を命じられる。
昭和30年代前半まで浅草フランス座に在籍していた八波むと志、佐山俊二、渥美清、谷幹一、関敬六、長門勇らは既にテレビに進出しており、当時は阿部昇二が座長格で、その下に坂上二郎や現在は浅草21世紀で活躍中の真木淳らが居た。
ここで、若き萩本欽一と坂上二郎が幕間コントでアドリブの火花を散らしたことが、のちにコント55号を組むキッカケとなった。
この特集記事の頃は、萩本欽一はまだ下の東洋劇場に居た筈だが、坂上二郎はもう居た頃だろうか。
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