【西条昇の軽演劇コレクション】浅草・オペラ館「ヤパン・モカル」のパンフレット [軽演劇]
浅草・オペラ館「ヤパン・モカル」は、エノケン率いる「ピエル・ブリヤント」がオペラ館から松竹に引き抜かれた後の昭和8年1月に旗揚げされ、米軍の空襲に備えて強制的に取り壊される昭和19年3月末まで続いた浅草のレヴュー劇団である。
永井荷風がオペラ館の芝居を絶賛して自作の歌劇「葛飾情話」を無償で提供し、日夜、楽屋に通い詰めたことでも知られている。
「ヤパン・モカル」は、<日本、儲かる>をフランス語風にモジッたもので、名付け親は初期に文芸部長を務めたサトウハチローであった。
座長は第一期が田谷力三、第二期が清水金一、第三期は佐藤久雄や石田清らが中心の体制となった。
思えば、僕は好運にも、かつてオペラ館の舞台に立っていた佐山俊二、阿部昇二、鯉口潤一、杉平助といった人たちの晩年の生の舞台を観ることが出来た。
手元にあるパンフレットは、初期の洒落たイラストから、戦時色の強いものに変わっていく様子が見てとれて、哀しい。
私、西条昇は現在、戦前戦後の浅草六区の劇場のチラシ・パンフレット・ポスターを集めています。
「ピエル・ブリヤント」、「ヤパン・モカル」、初期の映画上映期を含めたオペラ館のチラシ・パンフレットをお持ちの方がいらっしゃっいましたら、適価でお譲りいただけましたら幸いです。
永井荷風がオペラ館の芝居を絶賛して自作の歌劇「葛飾情話」を無償で提供し、日夜、楽屋に通い詰めたことでも知られている。
「ヤパン・モカル」は、<日本、儲かる>をフランス語風にモジッたもので、名付け親は初期に文芸部長を務めたサトウハチローであった。
座長は第一期が田谷力三、第二期が清水金一、第三期は佐藤久雄や石田清らが中心の体制となった。
思えば、僕は好運にも、かつてオペラ館の舞台に立っていた佐山俊二、阿部昇二、鯉口潤一、杉平助といった人たちの晩年の生の舞台を観ることが出来た。
手元にあるパンフレットは、初期の洒落たイラストから、戦時色の強いものに変わっていく様子が見てとれて、哀しい。
私、西条昇は現在、戦前戦後の浅草六区の劇場のチラシ・パンフレット・ポスターを集めています。
「ピエル・ブリヤント」、「ヤパン・モカル」、初期の映画上映期を含めたオペラ館のチラシ・パンフレットをお持ちの方がいらっしゃっいましたら、適価でお譲りいただけましたら幸いです。
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