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【西条昇の軽演劇コレクション】浅草ロック座のパンフレット [軽演劇]

戦後の一時期、浅草ロック座、浅草フランス座、浅草東洋劇場、新宿フランス座(新宿ミュージックホール)、池袋フランス座と五つの常打ち劇場を擁して数多くのコメディアンを世に送り出した東洋興業にとって、最初に持った劇場が浅草ロック座である。
劇場のコケラ落としは昭和22年8月で、この時の演目は額縁ショウで知られた帝都座ショウであった。
もっとも、この時のロック座は国華興業の経営であり、のちに東洋興業の初代社長となる松倉宇七氏は国華興業の常務取締役を務めていた。
昭和23年2月のハイライトショーでのメリー松原の<踊る裸体>が話題を呼び、同年5月には伴淳三郎を座長とした専属劇団「ショウ東京ロック」が発足している。
ロック座が正式に東洋興業の経営となったのは、この頃のことだったようだ。
昭和23年3月から浅草常盤座と浅草大都劇場の楽屋に入り浸っていた永井荷風は、昭和25年に入った頃からロック座に入り浸るようになり、同年4月には荷風がロック座のために書きおろした「渡り鳥いつかへる」が上演されている。

僕の手元にあるロック座のパンフレットは昭和26年から27年にかけてのもので、この頃の座長格は伴淳三郎から佐山俊二に移っていた。
僕は昭和40年代後半から50年代半ば過ぎにかけての新宿コマ劇場や日劇や国際劇場で佐山さんの生の舞台をたくさん見ているが、飄々とした持ち味と軽い身体の動きのギャグで笑わされた一方で、どこか軽く流しているような印象があった。
むしろ、山田洋次監督の映画の中の一場面に登場する佐山さんの演技のほうが、コマ劇場の舞台とは打って変わってイキイキとした楽しさが感じられた。これは、山田監督の使い方と活かし方が上手かったからだろう。
ロック座や浅草フランス座の頃の佐山さんの舞台を見てみたかったなと、つくづく思う。
当時のロック座のコメディアンには、佐山さんの他に、阿部昇二、池信一、長門勇といった人たちが居た。
佐山俊二と阿部昇二は、昭和18年頃の浅草オペラ館の舞台でもコンビ風に競演していたから、二人の掛け合いは息の合ったものだったろう。
阿部昇二は坂上二郎の師匠格の小柄なコメディアンで、どつかれて吹っ飛ぶスラップスティックな動きの芸に特徴があった。
そうした阿部昇二の芸を活かして見せたのが、ずっと後に「唐版 滝の白糸」の演出家として阿部を起用した蜷川幸雄で、この時の出演者の誰よりも阿部昇二が面白く輝いて見え、客席に居た僕は早速、この初老のコメディアンにファンレターを出し、返事をもらった。
池信一は東洋劇場時代の萩本欽一の師匠として知られ、萩本は池を「爆発的な面白さを持ったコメディアン」と表現している。僕は子供の頃からドラマ「銭形平次」に三ノ輪の万七の子分役でレギュラー出演する池の姿を画面で見ており、明治座の大川橋蔵公演で生の舞台も見ている。ライバルの銭形平次の子分の八五郎役の林家珍平とのやり取りに、飄々とした味の片鱗は感じられたが、やはりロック座や池袋フランス座や東洋劇場で爆発的な面白さを発揮する池信一を見てみたかった。
昭和30年代後半にドラマ「三匹の侍」での岡山弁を喋る侍役で売り出し、昭和40年代に松竹映画の主演スターとなる長門勇は、当時は浅草ショウ劇場から移ってきたばかりの若手俳優だった。

昭和26年8月に浅草フランス座がオープンすると、松倉宇七社長は、浅草ロック座に日舞ストリップの朝日浮世絵ショー、女剣劇の筑波澄子一座、舞踊劇の前澤稲子一座などを起用して和モノのイメージを打ち出し、洋舞ショーと現代劇が中心の浅草フランス座との演目の色分けをしている。
昭和30年代の半ばから昭和40年代半ばまでロック座の座長格を務めたのがビートたけしの師匠として知られる深見千三郎で、深見は東洋興業が実質的にロック座の経営から手を引いた昭和46年に浅草フランス座に移り、そこで新人コメディアンのたけしに芸を仕込んだ。

思えば、小学生の僕が浅草六区の劇場街を父に連れられて頻繁に訪れるようになった頃には、ロック座の経営は東洋興業から現在の東興業に移っていたことになる。
日本館のポルノ映画の看板と、フランス座とロック座のストリップの看板の前を通るたびに、子供心にドキドキしたものだ。
すでに、幼稚園時代から寅さんシリーズとデン助劇場を通じて浅草喜劇人に興味を持っていた僕は、小学三年生くらいの時には、フランス座とロック座から数多くのコメディアンが出たことを知っており、早く大人になって、それらの舞台を見てみたいと思っていた。
ロック座が現在の建物にリニューアルされる前の昭和58年に、初めてロック座のショーを見た時は、舞台はもちろん、劇場内の濃い雰囲気に圧倒された思い出がある。
旧ロック座や常盤座の最後に間に合って良かった。

現在、西条昇は、浅草フランス座、浅草ロック座、浅草東洋劇場、浅草公園劇場、浅草ロマンス劇場、浅草百万弗劇場、浅草国際セントラル、浅草小劇場(ショウ劇場)、浅草座、カジノ座、美人座、奥山劇場、大都劇場、スミダ劇場(ピカデリーショウ)、新宿フランス座(新宿ミュージックホール)、新宿セントラル、新宿ニュー内外ミュージック、新宿モダンアート、池袋フランス座、池袋文化劇場、池袋アウ゛ァン座(アバンギャルド)、池袋スカイ劇場、日劇小劇場、銀座コニーバーレスク、東劇バーレスクルーム、江東パリー座、五反田オデオン座、蒲田ミュージックホール、渋谷テアトルSS、渋谷道頓堀劇場、早稲田全線座、川崎セントラル、横浜セントラル、横浜新世界、名古屋の港座、納屋橋中央劇場、富士劇場、カイケイ座(開慶座)、銀映、名古屋ミュージックホール、岐阜セントラル、KBK劇場、真砂座、京都の京極小劇場、富貴、大宮劇場、伏見ミュージック、豊橋の東海劇場、大阪の道頓堀劇場(道劇ミュージック)、温泉劇場(温劇)、弥生座(PBショウ)、泉座、木川劇場、九条OS、ダイコーミュージック、千中ミュージック、尼崎の三和劇場、二光劇場、神戸の新開地劇場、寿座、金沢の立花劇場、岡山文化劇場、広島の廣栄座、徳島のSY松竹、下関の豊前座、熊本の文化劇場、福岡の川丈座(テアトル川丈)、柳橋劇場、西日本劇場などの幕間コントありのストリップ(バーレスク)ショーのパンフレット・チラシ・ポスターを集めています。
これらをお持ちの方いらっしゃっいましたら、ぜひ、適価でお譲り頂けたら幸いです。
コピーをとらせて頂くだけでも構いません。
このblogの左側のバーの西条昇のプロフィール欄に掲載されている西条事務所担当者のメルアドにご連絡下さい。

また、当時のショーに出演されていたコメディアン・女優・踊り子さん、ショー作者、振付師、劇場スタッフの方々のお話もぜひ、伺いたく存じます。
特に西条は、執筆調査のため、浅草の大都劇場やロック座やフランス座や東洋劇場に出演されていた、高杉由美さん、園はるみさん、伊吹まりさん、川口初子さん、津田紅子さん、柳登世さん、べテイ丸山さん、浪路笑さん、ヒロセ元美さん、千代笑子さん、奈良あけみさん、メリー松原さん、グレース松原さん、朝霧幾世(リリー丘)さん、エミー美山さん、一条ゆかり(摩耶ジュリ)さん、三冬マリさん、高原由紀さん、栗田照子さん、浅草待子さん、長谷川あけみさん、炎加世子さん、天津くるみさんといった方々にお話を伺いたく、その消息とご連絡先を探しています。ご存知の方いらっしゃっいましたら、ぜひ、よろしくお願いいたします。 

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