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【西条昇のキャバレー史コレクション】赤坂 ミカドのショーのプロデューサーを務めた岡田恵吉のこと

2019-02-06T11:48:35.jpg2019-02-06T11:48:35.jpg手元にある、昭和38年の赤坂のレストランシアター〝ミカド〟のレヴュー「チェリー・レーン・ショウ」の公演パンフ。
プロデューサーとして岡田恵吉の顔写真が掲載されている。
岡田は戦前の宝塚少女歌劇で多くの作品の作・演出を手掛け、戦後は昭和24年から同27年までジューン河戸という筆名で日劇小劇場での〝日小バーレスク〟の大半の作品の作・演出を担当。バーレスクの研究と実践の成果は昭和33年の著書「女のシリ・シンフォニー」にまとめられた。
昭和27年に日劇小劇場から日劇ミュージックホールへと劇場名が変わり、それまでのバーレスク・ショーからヌード・レヴューに路線変更されると、岡田は丸尾長顕、宇津秀男、東郷静男、長谷川十四郎と共に同ホールの運営委員して丸尾らと交互に作品を手掛ける形に。
しかし、次第に丸尾の担当する公演が増えて同ホールでの丸尾の色が強まる一方、岡田は昭和36年に赤坂に開場したレストランシアター〝ミカド〟のプロデューサーとして同39年に一度閉館するまで豪華なショーを作り続けた。

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