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【西条昇のジャニーズ史研究】昭和56年の「たのきん3球(サンキュー)コンサート」のパンフ [ジャニーズ]

手元にある、昭和56年8月の「たのきん3球(サンキュー)コンサート」のパンフ。
郷ひろみが移籍し、フォーリーブスが解散した状況の中、昭和54年10月スタートの「3年B組金八先生」で人気に火がついた田原俊彦、近藤真彦、野村義男の「たのきんトリオ」は、ジャニーズ事務所にとっての救世主的存在であった。
そのたのきんの人気絶頂時に行われた後楽園球場、大阪球場、ナゴヤ球場でのコンサートは、日本においては現在の五大ドーム・ツアーなどの元祖であろう。
3つの球場だから「3球」で、Thank Youとかけて、「サンキュー・コンサート」と読ませるネーミングは、いかにも言葉遊びのお好きなジャニーさんらしい。
70年代半ばから芸映プロの西城秀樹が大阪球場でのコンサートを定例化させていたが、ジャニーズにとっては初のスタジアム公演であった。
もともと、ジャニーさんが原宿ワシントンハイツで近所の代々木中学の少年たちに野球を教える少年野球チーム「ジャニーズ」が出発点なだけに、球場でコンサートをやることにも意味があったのだろう。
パンフの写真は3人とも野球のユニフォーム姿であり、「どうして野球場でコンサートやるんだって? それはね、トシちゃんとマッチが野球少年だからさ。ヨッちゃんは……、ヨッちゃんだって見るのは得意なんだよ。アハハ」との文章が載っているのが面白い。
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