【西条昇のさよなら日劇コレクション】昭和13年のエノケン東宝入社第一回出演作「エノケンの突貫サーカス」公演プログラム [軽演劇]
手元にある、昭和13年6月の日劇でのエノケン東宝入社第一回出演「エノケンの突貫サーカス」の公演プログラム。
それまでは浅草の松竹座をホームグラウンドにしつつ、映画はP.C.L.(東宝の前身)~東宝の作品に出演してきたエノケンだが、遂に舞台に関しても松竹を離れて東宝の所属となり、東宝傘下の丸の内の劇場に出演することに。
浅草でライバル的存在に浮上した古川ロッパがいち早く浅草から東宝の丸の内の劇場街に移ってから約3年後のことだった。
丸の内の水に合ってインテリ層の観客にウケたロッパに対し、エノケンは浅草時代を上回る活躍を見せることはなかったと言われている。
浅草時代を支えた座付きのレヴュー作家の菊谷栄が前年に戦死し、一時はエノケンとともに二人座長的存在だった相棒役の二村定一が一座を抜けていたことも大きかったのだろう。
それまでは浅草の松竹座をホームグラウンドにしつつ、映画はP.C.L.(東宝の前身)~東宝の作品に出演してきたエノケンだが、遂に舞台に関しても松竹を離れて東宝の所属となり、東宝傘下の丸の内の劇場に出演することに。
浅草でライバル的存在に浮上した古川ロッパがいち早く浅草から東宝の丸の内の劇場街に移ってから約3年後のことだった。
丸の内の水に合ってインテリ層の観客にウケたロッパに対し、エノケンは浅草時代を上回る活躍を見せることはなかったと言われている。
浅草時代を支えた座付きのレヴュー作家の菊谷栄が前年に戦死し、一時はエノケンとともに二人座長的存在だった相棒役の二村定一が一座を抜けていたことも大きかったのだろう。
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