【西条昇の浅草レヴュー・コレクション】浅草オペラ館の昭和7年「ヤパン・モカル」のプログラム [軽演劇]
エノケン、二村定一らの「ピエル・ブリヤント」を松竹に引き抜かれた浅草オペラ館が、玉木座「プペ・ダンサント」から役者や文芸部を引き抜いて昭和7年に旗揚げしたレヴュー劇団「ヤパン・モカル」のプログラムNo.2が手元にある。
役者陣に、柳田貞一、サトウ・ロクロー、大石信夫、佐藤久雄、堀井英一、高清子ら。
昭和11年に「ヤパン・モカル」の座長になるシミキンこと清水金一も、師匠の柳田貞一と共に参加していた。
文芸部に、サトウハチロー、菊田一夫、山下三郎ら。
劇団名「ヤパン・モカル」の名付け親はサトウハチローで、「ジャパン儲かる」の意味だとか。
また、菊田一夫の遅筆癖はこの当時からのものだったようで、プログラムに小さく「予告しました私の脚本が今週は都合で出ませんでした。申しわけ御ざいません。来週は予告通りで御ざいます。(略)菊田 生」と記載されているのが面白い。
役者陣に、柳田貞一、サトウ・ロクロー、大石信夫、佐藤久雄、堀井英一、高清子ら。
昭和11年に「ヤパン・モカル」の座長になるシミキンこと清水金一も、師匠の柳田貞一と共に参加していた。
文芸部に、サトウハチロー、菊田一夫、山下三郎ら。
劇団名「ヤパン・モカル」の名付け親はサトウハチローで、「ジャパン儲かる」の意味だとか。
また、菊田一夫の遅筆癖はこの当時からのものだったようで、プログラムに小さく「予告しました私の脚本が今週は都合で出ませんでした。申しわけ御ざいません。来週は予告通りで御ざいます。(略)菊田 生」と記載されているのが面白い。
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