【西条昇の戦後芸能史研究】1955年「メイ・ウエスタン・カーニバル」プログラムとチケット
手元にある、1955年5月に東京ヴィデオ・ホールで行われた「メイ・ウエスタン・カーニバル」のプログラムとチケット。
ウエスタンカーニバルが1958年2月に日劇に進出するまでは、1954年から有楽町蚕糸会館6階の東京ヴィデオ・ホールで定期的に開催されていたのだ。
この時点ではロカビリーはまだ流行しておらず、あくまでカントリー&ウエスタンのバンドの祭典であった。
出演バンドは、サンミュージック創業者の相澤秀禎(余四郎)が率いる「ウエスタン・キャラバン」、ホリプロ創業者の堀威夫(武夫)が率いる「キャクタス・ワゴン・ボーイズ」、第一プロ創業者の岸部清が率いる「東京ウエスタン」、小坂一也と寺本圭一がボーカルの「ワゴン・マスターズ」、中島そのみがボーカルの「チャック・ワゴン・ボーイズ」、ヨーデルで有名なウイリー沖山(ウイリー・ジェームス)率いる「ブルー・レンジャーズ」など。
チャック・ワゴン・ボーイズのボーカルの平尾忠夫はのちの平尾昌晃だろうか
ウエスタンカーニバルが1958年2月に日劇に進出するまでは、1954年から有楽町蚕糸会館6階の東京ヴィデオ・ホールで定期的に開催されていたのだ。
この時点ではロカビリーはまだ流行しておらず、あくまでカントリー&ウエスタンのバンドの祭典であった。
出演バンドは、サンミュージック創業者の相澤秀禎(余四郎)が率いる「ウエスタン・キャラバン」、ホリプロ創業者の堀威夫(武夫)が率いる「キャクタス・ワゴン・ボーイズ」、第一プロ創業者の岸部清が率いる「東京ウエスタン」、小坂一也と寺本圭一がボーカルの「ワゴン・マスターズ」、中島そのみがボーカルの「チャック・ワゴン・ボーイズ」、ヨーデルで有名なウイリー沖山(ウイリー・ジェームス)率いる「ブルー・レンジャーズ」など。
チャック・ワゴン・ボーイズのボーカルの平尾忠夫はのちの平尾昌晃だろうか
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