【西条昇のストリップ史コレクション】昭和28年の内外タイムスのストリップ劇場の広告欄

中段左から浅草公園劇場、東劇バーレスクルーム、浅草座、浅草カジノ座、江東パリー座、池袋アバン、銀座コニーバーレスク、浅草ロック座、浅草フランス座、新宿フランス座、川崎セントラル。
いずれもバーレスク形式のショーと軽演劇でしのぎを削りあっていた。
浅草百万弗劇場に居た渥美清が浅草フランス座へ移る間に、コント赤信号の師匠の杉兵助や立原博と同時期に川崎セントラルに在籍したのは、この頃だろう。
また、川崎セントラルの欄に「ストリップ 花電車」、新宿フランス座の欄には「ミス花電車」とあり、花電車が流行っていたことが分かる。
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