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【西条昇の浅草ストリップ史コレクション】昭和23年4月の浅草・常盤座での日本初の〈ストリップショウ〉公演のパンフレット [エンタメ]

昭和23年4月の浅草・常盤座での日本初の〈ストリップショウ〉公演のパンフレット。
劇団・新風俗の第二回公演で、芝居と共に演じられたショウ「妖しき真珠」の中に、いくつかストリップショウと銘打たれた景があり、ヘレン瀧や福田はるみが出演している。
ストリップショウ演出とクレジットされているのが戦前にエノケン一座や森川信の新青年座にいた正邦乙彦である。昭和22年の額縁ショウ以来、〈裸ショウ〉〈りべらるショウ〉などと言われていた女性のヌードを取り入れたショーに、この時、正邦がアメリカの〈ストリップ・ティーズ〉(=脱いで焦らす)から取って〈ストリップショウ〉と付けたのだ。以後、日本ではストリップという言葉が定着することとなる。
劇団・新風俗には、正邦の夫人である高清子、永井荷風のお気に入り女優となる桜むつ子、喜劇俳優の佐山俊二、八波むと志らが所属していた。この時のショウでもヘレン瀧のストリップショウの景の直前に「歌ふ新聞」と題して佐山俊二と高清子が時事ネタ・コントを演じている。僕が話を聞いた当時の軽演劇の関係者は高清子について「上手かったねえ」「達者だった」と声を揃えて、そのコント演技を褒め称えていた。
この公演の成功でストリップの専門家となった正邦は、数年後にジプシーローズという大スターを育て世に送り出した。
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