【西条昇のメンコレクション】澤田隆治さんを偲んで 「ダイラケ どろん秘帖」の角面子 [めんこ]

前作「びっくり捕物帖」に引き続き脚本は推理作家の香住春吾が担当。
主人公の中田ダイマル・ラケット扮する甲賀流忍術学校の落第生二人がお庭番の密命を受けて全国各地を隠密行脚。
彼らと行動を共にする忍術学校長の娘役に、宝塚歌劇団出身の環三千世。
澤田さん曰く、「生(放送)ですから、忍者が消えるのとかが上手くいかんかったねえ」。
番組終了後の日曜昼12:15からの30分枠で「スチャラカ社員」がスタートする。
【西条昇のメンコレクション】澤田隆治さんを偲んで 「アチャコのどっこい御用だ」の角面子 [めんこ]
【西条昇メンコレクション】澤田隆治さんを偲んで 「ダイラケのびっくり捕物帖」の面子③ [めんこ]
【西条昇メンコレクション】澤田隆治さんを偲んで 「ダイラケのびっくり捕物帖」の角面子② [めんこ]
【西条昇メンコレクション】澤田隆治さんを偲んで 「ダイラケのびっくり捕物帖」の角面子 [めんこ]



1957年秋にABCからOTVに出向した澤田隆治さんが演出を担当したコメディ番組「ダイラケのびっくり捕物帖」(1957.4~60.5 OTV→ABC)の角面子。
主演は目明かしのびっくり勘太、天満の五郎長に中田ダイマル・ラケット。与力・来島仙之助が藤田まこと、その妹・妙が森光子。
この番組はNTVでもネット放送され、ダイラケの二人は戦前のエンタツ・アチャコ以来の上方爆笑漫才コンビとして全国区の人気者に。
また、ダイラケとアドリブで掛け合い、おしとやかな雰囲気とは一変して見事な殺陣を見せるお妙さま役の森光子もコメディエンヌとして注目された。
脚本は戦前からの探偵小説作家で、戦後はNHKラジオの「エンタツちょび髭漫遊記」「エンタツの名探偵」を手掛けた香住春吾である。
【西条昇メンコレクション】澤田隆治さんを偲んで 「てなもんや三度笠」の角面子③ [めんこ]

脚本・香川登志緒さんとの名コンビによるディレクターとしての澤田さんの代表作「てなもんや三度笠」(1962.5~68.3 ABC)の角面子。
藤田まことのあんかけの時次郎、白木みのるの珍念に中仙道編のレギュラーだった駒形茂兵衛ならぬ駒下駄茂兵衛役の香山武彦。
美空ひばりの実弟である香山は、桁外れの大食らいのために相撲部屋を破門された取的という役どころで注目を集め、ノッポの藤田、チビの白木、デブの香山のキャラで「てなもんやトリオ」と言われ、番組中に「♪知恵は珍念、力は茂兵衛、顔の長いは時次郎」と良く歌われていた。
澤田さんとしてはその後も香山を使っていくつもりだったが、人気が出たところで香山を番組から卒業させて美空ひばり公演の舞台に出していきたいとのひばりの母・加藤喜美枝の考えを当時のひばり・香山が所属する神戸芸能社社長の田岡一雄・山口組三代目組長が澤田さんに伝えに来たのだそうだ。
【西条昇メンコレクション】澤田隆治さんを偲んで 「てなもんや三度笠」の角面子② [めんこ]

脚本・香川登志緒さんとの名コンビによるディレクターとしての澤田さんの代表作「てなもんや三度笠」(1962.5~68.3 ABC)の角面子。
藤田まことのあんかけの時次郎、白木みのるの珍念に番組開始当初の東海道編のレギュラーだった目明かしの三平役が吉本新喜劇の平参平。
足カックンのギャグがウケて「三平」と書かれた面子も作られるほど大人気に。
人気絶頂時に「番組の人気があるのはワシが出てるからや」といったニュアンスのコメントが新聞記事に載る舌禍騒動があり、番組から消える。この騒動さえ起こさなければ、全国区のコメディアンとして長く活躍した可能性もあった筈で、つくづく惜しまれる。
【西条昇メンコレクション】澤田隆治さんを偲んで 「てなもんや三度笠」の角面子と丸面子 [めんこ]
【西条昇メンコレクション】澤田隆治さんを偲んで 「スチャラカ社員」の角面子 [めんこ]

脚本・香川登志緒さんとの名コンビによる澤田さんのディレクターとしての出世作「スチャラカ社員」(1961.4~67.4 ABC)の角面子。
海山物産社長にミヤコ蝶々、支店長に横山エンタツ、課長に長門勇、社員に中田ダイマル・ラケット、藤田まこと、川上のぼる、人見きよし、笑福亭松之助、少年給士に白木みのる、事務員の初代が長谷百合、二代目が藤純子、四代目がのちの西川ヘレン。
この番組から藤田の「はせくぅ~ん」、人見の「ホント!?ちぃ~とも知らなかったわあ」、長門の「おえりゃあせんのう」など、多くの流行語が生まれた。
澤田さん曰く「番組が終わる時、ダイマル先生が泣いてました。(TVにおける)自分の時代が終わるというのがあったんとちゃいますかねえ」。